「ブルースの女王」、と聞いて淡谷のり子さんを思う人は減りつつあるだろう。きょうが誕生から100年と聞き、戦時中も軍歌を拒み続けた硬骨の生涯を思った。レコードだけではない。兵を死地に追いやる歌だと、戦地の慰問でも歌わなかった人である。

提起“蓝调女王”,能够想到淡谷のり子的人可能越来越少了吧。据说,今天是她诞辰100周年纪念日。让我们来共同回顾一下,这位在战争期间敢于对军歌说NO的刚毅女性的一生吧。在她看来,无论是收入唱片、还是在战地慰问演唱,军歌都会将士兵们逼向死亡的深渊。

平時と変わらぬドレスで舞台に立ち、流行歌を歌った。アイシャドーに真っ赤な口紅、つけまつげ。「不謹慎だ」と憲兵が怒鳴ると、「(こんな不器量が)素顔でステージに立って、どうなるのですか」と言い返したそうだ(『ブルースの女王・淡谷のり子』吉武輝子)。

参加战地慰问演出的淡谷のり子,穿着与平时演出并无二致。眼影、口红、假睫毛,一样不少。当有士兵斥责她的这副打扮“有失体统”的时候,她会回敬一句:“我不施粉黛(丑陋地)站在舞台上,又能怎么样呢?”

一度だけ、舞台で泣いたことがあった。九州の特攻基地でのことだ。歌の途中に出撃命令の下った隊員らが、一人ひとり敬礼して中座していった。こらえきれず、背を向けて涙を流したという。

在九州特种兵基地进行的演出,使她经历了仅有的一次泪洒舞台。事情是这样的:当淡谷のり子演唱到一半时,队员们突然接到紧急出击的命令。于是,他们挨个站起,给淡谷のり子敬礼后,才离开剧场。 这一幕,使淡谷のり子不仅转过身,潸然泪下。

淡谷さんを泣かせた特攻を、日系米国人が追った映画「TOKKO 特攻」が上映されている。狂信的自爆のイメージばかりが米国では強い。だがリサ・モリモト監督は丁寧な取材で、元隊員の「生きたかったよ。死にたくはなかったよ」という本音にたどり着く。

日籍美国人森本先生通过电影,将这支使淡谷女士落泪的特种兵部队搬上了银幕,取名为《东京特攻》。虽然,在美国人的印象中,他们都是些狂热的自杀式袭击分子。但是,导演森本先生通过精心的选材,努力表达出了原特种兵们的心声:“我们想活下去!我们不想送死!”。

「特攻兵」というロボットじみた人間など、どこにもいなかったのである。「兵士」という特別な人間も。誰もがただの人間だった。そのことを、淡谷さんは分かっていた。

和机器人完全一样的“特种兵”是绝对不存在的。即使是在“士兵”这个特殊群体中。淡谷女士清楚地知道“你我皆凡人”这个道理。

前線の慰問で、軍歌を聞きたがる兵はいなかった。リクエストはきまって十八番(おはこ)のブルースだった。生きて帰ることを願っているただの男たちのために。そう念じながら歌ったと、彼女は後に述懐している。

在前线慰问演出中,没有士兵还想再听军歌。他们希望听到的是淡谷女士最拿手的蓝调舞曲。她在此后的采访中谈到:“我唱歌时始终抱着一种信念,那就是:为了那些希望活着归来的勇士们演唱!”