6年で七曜をひと巡りし、今年の「9・11」は火曜日に戻ってきた。タワー2本が100分で消えたニューヨークのテロ現場は、雨になった。追悼式の遺族の輪に、山口県下関市の中村佑(たすく)さん、静美(きよみ)さん夫妻がいた。

星期,每六年循环一次,今年的「9・11」又转回到了星期二。“双子塔”在短短100分钟内消失了。今天,纽约恐怖袭击现场秋雨绵绵。死难者家属聚在一起,凭吊亲人。来自山口县下关市的中村佑、静美两夫妇也在其中。

次男の匠也(たくや)さんは地方銀行の駐在員だった。骨のかけらも見つからなかったが、最初の旅客機が突っ込んだ北棟102階に出勤していたはずだ。享年30。新婚の妻が残された。

他们的小儿子匠也,是某银行纽约分社的职员。虽然没有找到骨灰,但是,当时他就在北楼102层上班。第一架飞机撞击的正是那个地方。享年30岁。撇下了新婚的妻子。

両親は絵を手向けた。米国に赴任した息子が、最後の母の日に贈ったバラ。庭で挿し木にしたものが根づき、毎年、薄赤の花が咲く。それを静美さんが和紙に描いた。「感情が乱されるから」と、夫妻は息子の名が読み上げられる前に式を後にした。

爸爸妈妈供奉着一幅画。画上的蔷薇花,是儿子送的。时间是他赴美前的最后一个母亲节。花儿被插在庭院里,生根发芽,年年盛开。那些花朵带着淡淡的红色,被妈妈静美画在了和纸之上。他们说“由于心绪很乱”,所以,将葬礼推迟到了很久。直到儿子的名字被公布出来。

佑さんは「あれから世界はウニのようにとげとげしくなるばかりです。日本も巻き込まれ、よからぬ方に傾いている」と語る。涙で見た景色は再開発で消えていくが、それで区切りがつくものでもない。実行犯への憎しみから、より大きな平和へと、遺族の心の旅は続く。

佑先生说:“从那以后,世界就完全变了。变得如同一个海胆一样,纷乱多刺。日本也被卷入其中,变得越来越糟。”泪眼中望到的景色,随着再次开发消失了。但是,绝不是就此画上了句号。从对歹徒的憎恨,到期盼更大的和平。家属们的心灵之旅还在继续。

狂信者の身勝手で3000人が死に、狂信者を追う「聖戦」の中でその何十倍もの民が死ぬ。米大統領の対テロ戦争は、人類共栄の目的にかなうのか。理由なく殺される人を増やしただけではないか。

狂热信徒的一意孤行,导致三千人死亡。在追捕他们的“圣战”中,又牺牲了数十倍的平民。美国总统反恐战争的目的,是实现人类的共同繁荣吗?恐怕只能使得无辜伤亡的人数越来越多吧。

「9・11は国旗を振る日ではなく、和解を考える日にしたい」。遺族団体の創設者は武力に頼る政策を嘆いた。願いは式で歌われた「明日に架ける橋」の詞に重なる。〈暗闇が訪れ/痛みがあふれたら/荒れ狂う流れに架かる橋のように/僕がこの身をなげうつよ〉

对于依靠武力解决的政策,家属团的创建者发出了这样的感叹:“我希望不把9・11当成一个挥舞国旗的日子,在这一天,好好地思考一下和解问题吧。”在纪念活动中演唱的《构建明日之桥》这首歌,表达了他们的心声。“黑暗来袭/如果痛苦不堪的话/就在波涛汹涌的水面上构建一座桥吧/我将不顾一切地投身其中。”