米国勤務から戻って間もないころ、エレベーターの中で舌打ちされたことがある。乗って行き先のボタンを押し、そのまま立っていた。すると、若い背広姿が「チェッ」と言いながら、から腕をぐいと伸ばしてを閉じるボタンを押した。

刚刚从外驻美国回来后,在电梯中发生了一件让我不愉快的事情。当我按了要去的楼层的数字按纽后,电梯却没有动。立刻,一个穿西装的年轻人“切”了一声,从我背后噌地一下伸出手,按了关门按纽。

米国では、ボタンを押さずに扉が閉まるのを待つ。それに慣れていたのだが、ここは日本でした。人が降りたときも、誰かがすぐさま「閉」を押す。「時間の無駄」と言わんばかり。待っても2、3秒だろうに、どうもせっかちである。

在美国,电梯门不用按按纽会自动关上,只要等着就可以了。习惯了那样,可是这里是日本。当有人一走下电梯,就会有人立刻按关门按纽。总是说“浪费时间”。只不过等两、三秒而已,真是急性子。 

バスの中で高齢者が転ぶ事故が増えている、と聞いた。お年寄りは動作が遅い。迷惑をかけるのを案じ、止まる前に席を立つ。あげくに転ぶ例が多いと国土交通省は説明する。もたつくのを責める冷ややかな空気が、この国には濃いようだ。

听说老年人在公共汽车上摔倒的事故增多了。老年人行动缓慢,为了不给别人增添麻烦,在汽车靠站之前,就从座位上站了起来。结果摔倒的人很多。国土交通省的报告中是这样说明的。这个国家弥漫着责备嫌弃动作缓慢的冷漠空气。

冷ややかさは、自分が迷惑をかけたくない気持ちの裏返しでもあろうと、作家の藤原智美さんは見る。たとえばレジで順番を待ちながら財布小銭を調べる。そんな人ほど、遅々とした高齢者がいると、いら立つのではないかと言う(『暴走老人!』文芸春秋)。

作家藤原纸智美认为:冷漠是本来是自己不愿意给别人添麻烦,结果反而是大家都开始讨厌被别人添麻烦。就是说,例如,在取款机前排队时,就数钱包儿里的钢蹦儿。那样的人,如果有一个老人在队伍里,一定会不耐烦的吧。(《暴走老人》文艺春秋)

米国は老若男女がおおらかだった。財布など、値段を聞いてからおもむろに取り出す。飛行機を降りるときも、前の人が歩き出してようやく自分の手荷物を下ろす。だからだろう。他人のモタモタにも寛容だ。

美国人男女老少都很开朗,不拘小节。问了价钱以后,慢腾腾地才从钱包儿里拿钱呢。飞机降落以后,也是等前面的人出去后,才取下自己的手提箱。所以啦,对别人的缓慢也十分宽容。

国交省は「高齢者がゆとりをもって乗降車するのを社会が当然のことと容認する」べきだと提言している。翻訳するなら、お年寄りには堂々ともたつく権利がある、ということである。

国交省建议:“社会应当容忍高龄者有充足的时间慢慢地上下车”。翻译过来说:就是老年人有理所当然的缓慢的权利。