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ジャネット·ランキンの名を知る日本人は多くないかもしれない。1880年に米国で生まれ、女性初の連邦議員になった。女性の参政権運動を率いたから、日本なら市川房枝さんのような存在である。

珍妮特·兰金这个名字,可能知道的日本人不多。她1880年出生在美国,并成为第一个女联邦议员。领导了女性的参政议政运动。相当于日本的市川房枝那样的人物。

信念に満ちた平和主義者でもあった。66年前のきょう、日本軍は真珠湾を攻撃した。それを受けた議会の対日宣戦決議に、たったひとり反対票を投じた。議会は日本への憎悪を燃やし、上院は満場一致で可決した。下院は賛成が388、彼女だけがノーを唱えた。

她还是一个满怀信念的和平主义者。66年前的今天,日本军袭击了珍珠港。在关于这件事的议会上,她向对日宣战决议投了唯一的反对票。议会内燃起了对日本的仇恨之火,在上院是全体一致通过了决议。下院赞成票388票,只有她说了“不”。

この反対票で、ランキンは全米を敵に回す。非難が渦巻き、「売国奴」のレッテルを張られた。頼みの故郷からも、「あなたの味方なし」と電報が届く。その後、再選されることはなかった。

因为这张反对票,兰金成了全美的敌人。遭遇责难的暴风骤雨,被贴上了“卖国贼”的标签。她所依赖的家乡,也给她发来电报说:“没有你的伙伴”。之后,她再也没有当选议员。

散ったかに見えた花は、しかし後世に種子を残す。数年前に故郷のモンタナ州を訪ねると、「信念の一票」を慕う女性たちが平和活動を続けていた。あの「一票」に、命を産む者の決意がこもっていると誇らしげだった。

以为就此消失了的一枝花,她的影响却又在后世萌芽。几年前,访问她的故乡蒙大拿州时,发现追随“信念的一票”的女性们在继续着和平活动。那“一票”饱含着孕育生命的人们的决心,充满了自豪。

〈徴兵は命かけても阻むべし母·祖母·おみな牢(ろう)に満つるとも〉。故·石井百代さんの歌が「信念の一票」に重なる。作者は多くの身内を戦争で亡くした人だ。当時、あっさり息子を差し出す気になった。その後悔を胸に、戦前回帰する風潮に決意をぶつけている。

“即使舍弃性命,也要反对征兵的母亲、祖母们,即使把全部女牢坐满也在所不辞”。故·石井百代的和歌与“信念的一票”一致。作者是一个身边人大多在战争中死去的人。当时,他淡漠地将儿子送上了战场,一直以来感到内疚。后悔的心情撞击着胸膛,撞击着“回到战前”的复古风潮。

石井さんは生前、小紙に「(戦争は)女親らしい、めめしさを持っちゃいけないと、ただそればっかり」だったと語っていた。勇ましいものに歯止めをかける。それはめめしさではなく勇気なのだと、2人の行動と言葉に思う。

石井生前对本报说:“战争就像母亲一样,不会温柔,如此而已”。用奋勇斗争制止战争,这不是懦弱而是勇气。对于二人的言行,我这样认为。