2008年04月20日付 “月夜诗人”吉川行雄
翻译:天声人语讨论小组 整理:young忧雪
▼冬の夜の「冴え」に対し、春の宵は「おぼろ」である。湿気を含んで潤んだ大気が、ものうい気分をかもし出す。歳時記によれば昼間は霞(かすみ)と言い、日が落ちてからを「おぼろ」と呼ぶそうだ。
与“清澈”的冬夜相比,春宵是“朦胧”的。含带着潮湿的温润空气,酝酿出了几分慵懒的心情。据岁时记中记载,(这种感觉)在白天被叫做模糊,而从日落开始,就被称为“朦胧”了。
▼こよいは東の空に満月が昇る。月の出と日の入りは、ほぼ同じになる。蕪村が〈菜の花や月は東に日は西に〉と詠んだのは、いまごろのことか。天気しだいでは「おぼろの満月」が浮かぶかもしれない。
今夜,一轮圆月悬挂在东方的天空上。(在这个季节,)月升日落几乎是同步进行着的。蕪村的那首“油菜花和月亮在东方;日头在西方”,描写的就是这个时候吧。随着天气的变化(应该是指空气湿度的不断增加),“月圆”似乎也要变得“朦胧”了。
▼〈うすいおぼろに、/いぶされて、/月は魚になりまする。/ほそい木にゐる、/丹頂(たん·ちょう)も、/とろり、とぼけて飛びまする……〉。ご存じない方がほとんどだろうが、「月夜の詩人」と呼ばれた吉川行雄の作品の一節である。小さな朗読会がきのう、東京であった。
“在淡淡的朦胧中,/月亮被薰绕着,/化作了一尾鱼儿。/在纤细的树木间,/丹顶鹤也睡眼惺松了,/迷迷糊糊地飞舞……”这几句诗恐怕是鲜为人知吧。它出自被誉为“月夜诗人”的吉川行雄的作品。昨天,(其追随者)在东京举办了一场小型朗诵会。
▼吉川は明治の末に山梨で生まれた。少年時代の病で体が不自由になり、窓から月を眺めて暮らした。6畳の部屋から詩心を羽ばたかせ、30歳の早世までに、月夜を美しく詠んだ童謡詩を多く残した。
吉川,明治末年出生于山梨县。因少年时期患病导致行动不便,他的生活内容就是透过窗口眺望月亮。他从六方榻榻米大小的房间放飞诗兴,直到三十岁英年早逝时为止,给后世留下了大量赞美月夜的童谣诗。
▼いつしか忘れられたが、3年前、金子みすゞ(同ず)を再発見した童謡詩人、矢崎節夫さんの目に留まる。評伝が刊行され、ふたたび静かな光を放ちはじめた。しゃれた作品もある。〈月のランプに/うつすらと、/雲のカーテン/ひかれます。/いちごばたけの/いちごには、/霧のミルクを/そえましよか……〉。
虽然其作品已在不知不觉中淡出了人们的记忆,但却仍旧留在了三年前再度发掘出金子みすず的童谣诗人矢崎節夫的视线中。他为吉川明治出版了评论性传记,使其作品开始又一次散发出了宁静的光芒。吉川明治的诗有的颇赋情趣,(比如下面这首:)“在月亮的油灯中/淡淡地、/拉开了云朵的窗帘。/在草莓地里的草莓上、/添加些牛奶般的雾气吧……”
▼人は子どもであることを捨てて大人になるのではない。そんな、「童心」をいつくしむ思いが詩文ににじむと矢崎さんは言う。こよい春の満月を仰ぎ、手を伸ばして取ろうとした幼い日を懐かしむのも、悪くなさそうだ。
人,并不是放弃了孩童时代的记忆而长大成人的。矢崎说:的确如此。吉川明治诗句中所流露出的,就是对“童心”的怜爱之情。今宵,我抬头仰望着春天的满月,思绪回到了那曾经想过伸手探月的童年时光。这似乎也不错呦。
解说:
1 さいじ‐き【歳時記】 「さいじき」を大辞林でも検索する 1 1年のおりおりの自然·人事などを記した書物。歳事記。 2 俳句の季語を集めて分類·整理し、解説や例句を載せた書物。俳諧歳時記。季寄せ。
2 ゐ 「ゐ」を大辞林でも検索する 1 五十音図ワ行の第2の仮名。現在は、五十音図ア行第2の仮名(ならびに五十音図ヤ行第2の仮名)「い」と発音上の区別がなく、現代仮名遣いではこの仮名は用いられない。しかし、歴史的仮名遣いでは「い」と区別して用いる。 2 平仮名「ゐ」は「爲」の草体から。片仮名「ヰ」は「井」の全画の変形したもの。 更多翻译讨论尽在天声人语翻译讨论小组
翻译好帮手:【小学馆】新解国语辞典
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