2008年05月25日付 清清流水的故事
翻译:prettylj、polarises、lyra1030 整理解说:yier_1228
▼思わぬ所で、思わぬものに出会う。数日前、箱根湯本で大雨をやり過ごした時のことだ。小さな滝のそばの木に、サワガニがいた。苔(こけ)むした樹皮(じゅひ)の目の高さあたりで、細い足をぐいと踏ん張っていた。
在意想不到的地方,遇到了意想不到的事情。这说的是数日前,在箱根汤本刚刚下过大雨时的事情。在小瀑布旁边的树上,竟然有小河蟹。在长了青苔的树皮上,小河蟹使劲叉开细小的腿站在跟我眼睛差不多高度的地方。
▼カニの居場所は海か川と決めつけていたが、水辺の木にいても不思議はない。えさ場なのか、休息中なのか。横ばいの愛敬者にすれば、どこにいるのも生きるための必然だろう。
虽说螃蟹居住的地方被认为海边或者河边,但在水边的树上也并不稀奇。或是饵食之地或是正在休息吧。作为可爱的横爬者,不管在哪里都必然是为了生存吧。
▼カニが水から離れぬように、たいていの赤ん坊は寝床か母親の腕の中にいる。赤ちゃんポストの言葉に覚えた違和感は、思えば「樹上のカニ」の比ではなかった。素肌のぬくみと冷たい金属。両者の間には、偶然にも出会わせてはならない落差がある。
就像螃蟹离不开水一样,婴儿大抵都是在摇篮或者母亲的怀抱中。在“婴儿邮箱”的词汇里,感觉很别扭的,想想就觉得不是“树上的螃蟹”之流。裸露的肌肤的温暖与冰冷的金属。在两者之间,有着即使是偶然也不可能遇到一起的落差。
▼熊本市の慈恵病院が、新生児を匿名で預かる「こうのとりのゆりかご」を開設して1年が過ぎた。3月末までに男児13人、女児4人が託されたという。置き手紙などから身元が分かった子が9人。思い直して引き取りに来た親もいたそうだ。
熊本市的慈恵医院,从开设用匿名收养新生儿的“鹳之摇篮”以来,已经过了一年了。据说到3月底已经被托付了男孩13人,女孩4人。通过留信等明白身份的孩子有9人。据说也有重新考虑后来领回孩子的父母。
▼捨てたんじゃない、つながっていたい。そんな親心の「迷い」に、かすかな救いを見る。露と消えかけた命を「ゆりかご」が救ったと信じたい。ただ、障害を持つ子もいたらしいと聞けば、気はめいる。
并不是真的想抛弃,还是想和孩子连在一起的。从父母心中的这种犹豫中,似乎还能看到些许的补救。我相信“摇篮”拯救了如露水般即将消失的生命。只是当听说好像也有残疾孩子时,心情沉重。
▼授かった命は、身を挺(てい)して守るのが生き物の習いだ。子の側も無意識に守られようとする。闇へと走り去る親の背に、生まれて間もない本能はどんな叫びを発したのか。ちなみにサワガニのメスは、50粒ほどの卵を抱き、子ガニが生まれてもしばらくは腹に抱えて過ごす。身勝手も生活苦もない、清流の話である。
挺身保护被上天赋予的生命是生物的习性。孩子一方也尽可能地争取被无意识的保护。对消失在黑暗中的父母的身影,生下来不久的孩子的本能会发出了怎样的呼喊。随便说一下,雌河蟹抱着50粒左右的卵,即使生下小螃蟹也还会在自己的怀中抱着过一段时间。没有自私也没有生活的苦难,仅仅是清清流水的故事。
解说:
【赤ちゃんポスト】和【こうのとりのゆりかご】是同一个说法的不同叫法而已,估计可说为“婴儿邮局”。 赤ちゃんポスト (あかちゃんぽすと) 为新词汇: 赤ちゃんポスト(あかちゃんポスト)とは、諸事情のために育てることのできない新生児を親が匿名で養子に出すための容器、およびそのシステムの通称である。 更多翻译讨论尽在天声人语翻译讨论小组
翻译好帮手:卡西欧电子词典EW-V3800H(英汉日版)
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