2008年06月15日付 为地震做好准备
翻译解说:sayen、prettylj、cassiolijie、luo_nannan 整理:sayen
▼6月は『方丈記』を書いた鴨長明(かものちょうめい)が没した月だ。長明の生きた鎌倉前期のころは、天災や疫病が立て続けに起き、世に不安がたちこめた。無常観にとらわれていく長明が、一番恐ろしかったと書いているのが地震である。
6月是《方丈記》作者鸭长明谢世的月份。长明生活的鎌倉时代前期,天灾和传染病接连不断,整个社会笼罩在不安的气氛中。坚持人世无常观点的长明写道,最令人恐怖的事莫过于地震了。
▼その地震は1185年に京都を襲った。地は裂け、家は倒れ、山が崩れ落ちる。「人は羽がないので飛ぶこともできない。竜なら雲に乗って逃げるのに」と恐怖を述べている。近年の調査で、このときのマグニチュードは7.4程度だったと分かっている。
那场地震发生在1185年,袭击了京都。大地撕裂,房屋倒塌,山体崩落。他这样描述当年的骇人景象:「人因没有翅膀飞不走,龙的话早就驾云而逃了」。根据近年的调查,得知那年的震级约里式7.4级。
▼東北地方できのう起きた地震のそれは、7.2と推定される。国内内陸部の直下地震で7以上は、阪神大震災など、この半世紀で3度目という。緑の山をえぐり、道路を壊して、鋭い爪跡(つめあと)を残した。なお連絡の取れない人もいるようだ。
昨天,发生在东北地区的地震推测为7.2级。据说震源在国内内陆部地下的7级以上地震,如阪神大地震等,本半个世纪以来这是第三次。地震将青山豁开,将道路毁坏,(大地上)留下了它尖锐魔爪的印记。听说至今仍有失去联系的人。
▼被災は、山深い地域に広がっている。道は寸断され、被害の状況をつかむのもままならない。規模は違うが、中国の四川大地震を思い起こさせる。4年前の新潟県中越地震もそうだった。都市型とは異なる、山間部の災害の手ごわさだろう。
震灾范围扩大到深山中的地区。道路被斩断,掌握受灾全貌都不容易办到。虽然规模不同,但还是让人联想起中国的四川大地震。四年前的新泻县中越地震也一样,山区的地震与都市型不同,更为棘手吧。
▼日本列島はプレートがぶつかり合う位置にある。その危うさを、「国土全体が一つのつり橋にかかっているようなもの」と例えたのは寺田寅彦だ。地震はいかんともしがたい。だが被害は、減らすも増やすも人間次第だと寅彦は言っている。
日本列岛位于地壳板块交汇处,寺田寅彦将它的危险程度比作「整个国土就象悬在一个吊桥上一般」。他说,地震是很难改变的,但地震的受灾程度是增是减,却掌握在人类手中。
▼鴨長明の言うように、いざ大地が揺れれば、雲に乗って逃げたりはできない。何とか自分で身を守るしかない。犠牲になった方々の冥福を祈りつつ、身近な地震への備えを、見直すことにする。
正如鸭长明描述的那样,一旦大地开始摇动,(人)是不可能驾云逃走的。(人)只有自己保护自己。(我们)在为地震中失去生命的人们哀悼的同时,也要重新审视一下防震准备工作,毕竟地震就在我们身边。
解说:
鴨 長明(かもの ちょうめい、1155年(久寿2年) - 1216年7月26日(建保4年閏6月10日))は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての日本の歌人、随筆家である。俗名はかものながあきら。京都の生まれ。 賀茂御祖神社の神事を統率する鴨長継の次男として生まれた。俊恵の門下に学び、歌人としても活躍した。望んでいた河合社(ただすのやしろ)の禰宜(ねぎ)の地位につくことが叶わず、神職としての出世の道を閉ざされた。後に出家して蓮胤(れんいん)を名乗ったが、一般には俗名を音読みした鴨長明(ちょうめい)として知られている。 出家の後、1212年に成立した『方丈記』は和漢混淆文による文芸の祖、日本の三大随筆の一つとして名高い。他に同時期に書かれた歌論書の『無名抄』、説話の『発心集』(1216年以前)、歌集として『鴨長明集』(養和元年 1181年)といった作品がある。
寺田 寅彦(てらだ とらひこ、1878年(明治11年)11月28日 - 1935年(昭和10年)12月31日)は、日本の物理学者、随筆家、俳人であり吉村冬彦の筆名もある。高知県出身(出生地は東京都)。 更多翻译讨论尽在天声人语翻译讨论小组
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