2008年07月12日付 稻田狂想曲
翻译:polarises 藤原周助 整理解说:baiheps
▼山あいの田を借りて、今年も米を作っている。梅雨の晴れ間をぬって、先日、田の草取りをした。足を入れて腰をかがめると、伸び始めた稲のあいだで生き物がさかんに動く。
租了块山里的水田,今年还是种水稻。前些日子趁着梅雨放晴去除了田里的杂草。跨入水中一弯腰,就惊扰了身处“开始长个儿”的稻田中的小动物们。
▼オタマジャクシがゆらゆらと逃げていく。ゲンゴロウも大あわてだ。アメンボはすいすいと、われ関せずの風情である。ヤゴもいる。遠からずトンボになって、夏の里山を飛び交うことだろう。
蝌蚪们摇摇摆摆地游走了,龙虱也显得慌慌张张的。水黾轻快地游着,一副事不关己的样子。还有水虿,不久之后它们就会变成蜻蜓,在夏季的深山里飞来飞去吧。
▼米作りには様々な言い習わしがある。生き物に関するものも多い。たとえば「ヘビのいる田は良い田んぼ」と言う。そうした田にはヘビの食べるカエルが多い。カエルは害虫を食べてくれる。生命の「つながり」の中で稲もすくすく育つというわけだ。
在水稻种植过程中有各种各样的谚语。其中也有不少是关于这些小动物的。比如说“有蛇的地是块好地”。因为在这样的地中有许多蛇的食物——青蛙。而青蛙可以帮我们吃掉害虫。在这物种的“食物链”中,水稻也迅速地成长着。
▼「生物多様性」と聞けば難しいが、つまりは「生命のにぎわい」である。畦(あぜ)にはミミズが這(は)っていた。目立たないが「自然の鍬(くわ)」だ。食べた土は糞(ふん) になって、肥えた土に生まれ変わる。多い所では、1平方メートルあたり年に25キロにもなるという。
“物种多样性”这个词听上去有些难,简单点说就是“生命的繁荣”。在田埂中爬来爬去的蚯蚓虽然不起眼,却是“自然之锹”。它们将吞下去的泥土排出来之后,肥沃了土壤。据说在蚯蚓聚集区,每平方米土地一年就可以出产多至25公斤的大米。
▼吉野弘さんの詩の一節が思い浮かぶ。〈生命は/自分自身だけでは完結できないように/つくられているらしい……しかし/互いに/欠如を満たすなどとは/知りもせず/知らされもせず/ばらまかれている者同士〉。地球上の生物は、分かっているだけで175万種に上っている。
这让我想起了吉野弘的几句诗。“生命/似乎是以无法单纯靠自我终结/而被打造出来的……然而/在弥补缺陷这一点上/彼此间却是/既不自知/也不被认知地/被播撒开来的同路人”。仅人类了解的地球生物已经超过了175万种。 ▼青田の稲は、梅雨が明ければ穂を出すだろう。長命だった江戸の文人、大田南畝が狂歌を残している。〈人生七十古来稀(まれ) 食いつぶす七十年の米粒の数かぎりなきあめつちの恩〉。命のにぎわいに育まれて、青田は秋には黄金色の波になる。
青青的稻田,梅雨之后应该要抽穗了吧。江户时代的长寿文人大田南畝曾经写过一首狂歌。“人生七十古来稀 ,七十年来吃尽的米粒数量,就是天地无尽的恩惠”。到了秋天,被生命的繁荣养育出来的稻田将是一片金黄色的波浪。
解说:
1.吉野弘 1926年-。詩人。山形県酒田市出身。1953年同人雑誌「櫂」に参加。1957年、詩集「消息」、1959年詩集「幻 · 方法」。1962年に勤務を辞めて詩人として自立。詩画集「10ワットの太陽」、詩集「吉野弘詩集」「叙景」、随筆集「遊動視点」「詩の楽しみ」など著書多数。】
2.大田 南畝(おおたなんぼ 寛延2年3月3日(1749年4月19日) - 文政6年4月6日(1823年5月16日))は天明期を代表する文人 · 狂歌師。漢詩文、洒落本、狂詩、狂歌などをよくし、膨大な量の随筆を残した。 更多翻译讨论尽在天声人语翻译讨论小组
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