「彼の髪型よくなくない・・・」 「そうーね、わたし的にはビミョウ・・・」最近若者の間ではこんな調子の会話が行われてい る。雰囲気的には何となく分かるような気もするが、意味的にはやはりはっきりしない。どうしてこんな言い方が流行ってきたのだろうか。もっと自分の意見をはっきり言わなければ・・・の小言の一つも言いたくなるのだが、これが今どきの何でも何となくあいまいにそして客観化したい若者気質の流行言葉のようである。

“他的发型还可以吧……”,“是啊,在我看来有些微妙”。最近,年轻人中流行着这样的谈话方式。在感觉上还是能够理解,但是具体的意思还是不清楚。为什么会流行这样的说话方式呢?应该把自己的想法清晰地表达出来,虽然我想这样发发牢骚,但这正是当下暧昧成风、寻求客观化、凸显年轻人气质的流行用语。

でも確かにこの「よくなくない」は日本語教師として説明に非常に困る。昔教師に成り立ての頃これに関する質問に困ったことを思い出した。日本語教師として 「よい」の否定形は「よくない」と教えるのだが、会話などで「この服チョットよくない・・・」といえば「この服ちょっといいでしょう」である。こんなこと 我々日本人はすぐわかるのだが、日本語学習者にはこの「ない」はちょっと曲者である。

但是这种“还好”的表达方式的确让日语老师很苦恼。我想起刚当老师时曾被这个问题困扰过。日语老师教导学生「よい」的否定形是「よくない」,如果是在会话中,比如说「この服チョットよくない・・・」,指的是「この服ちょっといいでしょう」(这件衣服还不错吧)。日本人能立马理解这些,不过对于学日语的人来说就没那么容易了。

これは本来は「~ないか」の形で相手に同意や確認を求めたり、誘いかけたりする意味で使われているのだが、最後の「か」を省略し、上げ調子のイントネー ションを用いて、例えば「今日暑くない・・・」「これおいしくない・・・」などである。しかし「暑い」や「おいしい」の否定形は「暑くない」「おいしくな い」と勉強した生徒さんは反対の意味になってしまうのでとても困ってしまう。文法も大事だが言い方やイントネーションの重要性も教えなければならない。

这本来是用「~ないか」的形式向对方寻求同意或确认,有劝诱的意味,但是慢慢地省略掉最后的「か」,声调上扬,比如说「今日暑くない・・・」「これおいしくない・・・」。但是有的学生会把「暑くない」和「おいしくな い」当做是学过的「暑い」,「おいしい」的否定形式去理解,对于这一点我也感到很苦恼。语法固然重要,表达方式和声调也不可小觑啊。

そして冒頭の「よくなくない」は・・・、これもやはり「いいでしょう」の意味に使っているのだろうが、「ない」を一つ入れることによって何となく自分の意見をあいまいにした表現なのであろう。しかし日本語学習者はますます混乱してくる。「まずい」の否定形は「まずくない」、更にその否定形が「まずくなくな い」。すると「この料理まずくなくない」は結局どんな意味なの・・・。困ってしまう。

回到文章开头所说的「よくなくない」,这其实是“还不错吧”的意思。加入一句「ない」,不自觉地就把自己的想法暧昧模糊化了。这样学日语的人就更加混乱了。「まずい」的否定形式是「まずくない」,再加上一层否定的话变成「まずくなくない」。这样的话,「この料理まずくなくない」这究竟是什么意思呢?真让人困惑。

微妙」という言葉も最近若者の間でよく使われている。本来この「微妙」は複雑な意味などが含まれていて何とも言い表せないもの、例えば「微妙な関係」や 「微妙な味」のように使うのであるが最近は「ごはん食べた?」「微妙・・・」、「宿題した?」「微妙・・・」何でも微妙になってしまう。それこそ主体性の無さをもろに表している感じがする。こんな時は漢字など使わず「ビミョウ」のほうがピッタリする。

最近年轻人中“微妙”一词被广泛使用。本来“微妙”一词是蕴含着复杂的意味,用于表达难以言传的事物,比如说「微妙な関係」(微妙的关系),「微妙な味」(微妙的味道)。但是最近发现什么的都成微妙的了。比如说「ごはん食べた?」「微妙・・・」、「宿題した?」「微妙・・・」。让人感觉完全没有了自主性。这时候,不写汉字,直接写成「ビミョウ」更为贴切。

そして「わたし的」である。最近日本語教師養成講座の受講生との会話でときどき気になる表現にぶつかる。例えば「ら抜き言葉についてどう思いますか」の質 問に「わたくし的にはこう思います」と答えてくる。そして「先生的にはどうですか」である。どうして「的」を付けるのか尋ねると別に深い意味はないよう で・・・。ではなぜ「私はこう思います」とはっきり述べないのかと聞くと、その答えは「ビミョウ・・・」である。確かにあまり自信がないようなときはこの 「わたし的」は便利な感じもするが、いかにも日本的・・・。

然后是「わたし的」一词。最近在与日语老师育成讲座上的学生进行会话时,我常常在意这个词。比如我向学生提问,「ら抜き言葉についてどう思いますか」(对于动词可能态你是怎么看的?),学生会回答说“「わたくし的にはこう思います」(就我个人而言是这样想的)”。然后反问“老师怎么看”。如果硬要追问他为什么要加上「的」恐怕也没多大意思。但是你问他为什么不直接说「私はこう思います」(我是这样想的),他回答说“微妙”。确实在没有什么自信的时候像「わたし的」这样说比较方便,这也比较符合日本的风格。

コンピューターで「ワタシテキ」と打って変換すると「私敵」が出てくる。やはり日本語的にはこの言葉はやはり「敵」なのかもしれない・・・。先生的にはそう思います。
在电脑里输入「ワタシテキ」,转换成汉字就变成了「私敵」。日语里的这种词汇或许就如同“敌人”,作为老师我是这样认为的。

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