2008年08月27日付 方便面问世五十周年
翻译:baiheps,aicn,jiamilk 整理解说:young忧雪
▼美食家の北大路魯山人は、料理哲学を様々な言葉で残した。〈どうしても料理を美味(おい)しくつくれない人種がある。その名を不精者という〉。魯山人が没する前年、この信念に挑むかのような商品が世に出る。熱湯だけで出来上がる「チキンラーメン」だ。
美食家北大路鲁山人留下了很多烹饪名言。比如:“有一种人无论如何都做不出可口的菜肴。他们的名字叫懒汉”。似乎是在挑战鲁山人的这种想法,在他去世的前一年,有一种商品问世了--它就是只用热水就能做好的“鸡肉面”。
▼日清食品が世界初の即席めんを売り出して、おとといで丸50年になった。腹ぺこを3分で片づけるインスタント技術に、器いらずのカップ型も加わり、食の風景は一変した。
从日清食品推出世界上首款方便面开始到前天,已经整整过去五十年了。三分钟就可以填饱肚子的速食技术,再加上不用(其他)容器的杯型面桶,彻底改变了饮食状况。
▼学生時代、仕送りの谷間を、チキンではなかったが即席めんが埋めてくれた。湯を切っためんに中濃ソースを絡めて焼きそば風にし、粉末スープは別に食す。妙な一汁一菜はしみじみうまかったけれど、袋にプリントされた「盛りつけ例」がまぶしかった。
学生时代,家里接济断档时是方便面填补了空隙,虽然它不是真正的鸡肉。还有一种炒面,是将热水沥出去后的面条用“中浓”酱汁拌在一起,而汤则另外用粉末(包)冲着喝。这绝妙的一菜一汤美味至极,而包装袋上印着的效果图也十分醒目。
▼貧乏学生がすがった即席めんは今、緊急援助に欠かせぬ品となった。各国メーカーでつくる世界ラーメン協会は、ミャンマー水害と四川大地震の被災地に計100万食を送った。きょうも誰かが湯を注ぎ、細く長く、命をつないでいるだろう。
穷学生赖以维持生计的方便面,如今已经成为紧急援助时不可或缺的东西了。由各国生产厂家组成的世界面协会,给遭受水灾的缅甸和四川大地震灾区送去了100万份方便面。今天,也许还有人正在往上浇上热水,那细细长长的面条维系着生命。
▼世界で年に1千億食が消費されている。中心は中国で、日本の食文化が逆上陸した形だ。生みの親の安藤百福(ももふく)翁は「半世紀」を1年待てなかったが、発明品のグローバル化を見届けての大往生だった。
以中国为中心,全世界方便面的消费量是每年一千亿袋,形成了日本的饮食文化反登大陆的现象。方便面之父安藤百福老先生还差一年没有等到“半个世纪”,而在他去世时已经看到了自己的发明走向了全世界。
▼空き腹にまずいものなし。この格言に、魯山人も異は唱えまい。即席めんのうまさは、万国、五感より腹加減で決まり、すすれば当座の元気は出る。逆境でこそ輝く一杯。食べ物が偏在するこの地球で、太く長く続きそうな「ハングリー」との二人三脚である。
饿着肚子的时候没有不好吃的东西。对于这句格言,鲁山人不会唱反调吧。与世界性和各种感官相比,方便面的美味是由肚子问题决定的。吸溜吸溜吃下去后马上就有精神了。这一杯面正是在逆境中才闪耀着光辉。它与在这个食物分配不均的地球上大面积的、持续不断的“饥饿”是两人三足的关系。 解说:
安藤 百福(あんどう ももふく、1910年3月5日 - 2007年1月5日)は日本の実業家。商業ベースで成功したインスタントラーメンの開発者。日清食品(株)創業者。 日本統治時代の台湾出身(旧名:呉百福)。第二次世界大戦後に中華民国の国籍を選択、のち日本に帰化。1948年に(株)中交総社(後の日清食品)を設立。日清食品の代表取締役社長、代表取締役会長、創業者会長を歴任。(社)日本即席食品工業協会会長、(財)安藤スポーツ·食文化振興財団理事長、(財)漢方医薬研究振興財団会長、世界ラーメン協会会長、(財)いけだ市民文化振興財団会長などを務めた。1934年、立命館大学専門部経済科修了。1996年、立命館大学名誉博士。池田市名誉市民。位階勲等は正四位勲二等。 「チキンラーメン」や「カップヌードル」の開発により、日本のみならず世界の食文化に変化をもたらしたことで知られる。 更多翻译讨论尽在天声人语翻译讨论小组
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