古稀之年 单人航海

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大志を抱け、と言うわりには「青年の向こう見ず」に世間は寛大ではない。堀江謙一さんがヨットで太平洋単独横断を成したときもそうだった。日本では快挙を讃えるより、無謀だの密航だのと難じる声が目立った。いつの時代も、出る杭は打たれる

虽然有胸怀大志一说,但也有“青年不可信”的观念,可见人世间并不宽容。据说对待堀江谦一先生成功地单人操控舢板横渡太平洋的壮举也是如此。在当年的日本既有褒奖的赞扬,也有不少谴责,什么欠考虑呀偷渡啊等等。无论什么时代,出头鸟总是要挨枪打的。

正規の出国に手を尽くしたが、冒険航海にパスポートは出なかった。やむなく夜の港からこっそり出航する。94日の航海ののち、米サンフランシスコに到着して、きょうで50年になる。

尽管想法设法申办正当的出国手续,可对于具有冒险性的航海有不出具护照的规定。实在没有办法,只得趁着夜色离开港口悄悄出航。在海上漂泊94天之后,到达了美国的旧金山,到今天已经50年了。

米国では密航扱いどころか大歓迎された。つられるように国内の空気も変わる。一躍、時の人になったのは戦後昭和史の伝説だ。冒険や探検を大学などの権威筋が牛耳っていた時代、それとは無縁な一青年の「大志」は、新しい挑戦となって羽ばたいた。

可是到了美国非但没有被当作偷渡处理,而且还受到了热烈的欢迎。在此影响之下,国内的气氛也为之一变。其本人也一跃成为了新闻人物并载入了战后昭和 史。在那由大学等部门的权威人士执冒险、探险之牛耳的时代,区区一个与此毫无瓜葛毛头青年的“豪情大志”是一种全新的挑战,大有一飞冲天之气魄。

『太平洋ひとりぼっち』を読み直すと、ミッドウェーあたりの記述が印象深い。「夕陽がからだをいっぱいに包む。長い黙祷を捧げまし た。……多くの海の先輩たちが散っていったところなのだ。……ぼくはいま花束を持っていない。許してください」。戦争の記憶はまだ色濃かった。

当重读了一遍《太平洋上的孤独者》时,中途岛那一段的描述印象极为深刻 ,“夕阳严严实实地包裹着我的全身。我默默地做了一次长时间的祷告。……这里是众多海上前辈陨落的地方。……现在我身上没有带着花束,请你们原谅!”战争的记忆仍然色彩浓郁。

振り返るとその年には、国産旅客機YS11が初飛行し、世界最大のタンカー日章丸が進水している。高度成長の矛盾を抱えながらも青年期の勢いがこの国にあった。

回过头来看,那一年国产YS11型客机成功首航,世界最大的油轮日章丸已下水投入使用。尽管面对着高度增长造成的种种矛盾,可这个国家却像一个青年那样朝气蓬勃。

73歳になった堀江さんは、4年前にもハワイ―日本を単独で航海した。なお現役の冒険家は、特別なことはせずに記念日を過ごすそうだ。青年の気を忘れぬ人である。懐旧に浸るのはまだ早いらしい。

已经73岁的堀江先生4年前又一次完成了夏威夷——日本的单人航海。据说这位仍活跃在一线的现役冒险家并未将此举看得有多特别,并且在不经意间度过了这个纪念日。看来这是一位难舍青春活力的人,沉湎于怀旧中度日还为时尚早。

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