2008年11月09日付 “水晶之夜”七十年忌
翻译:天声人语翻译小组
整理:baiheps
▼「黄金の三角」といえば、インドシナ半島の麻薬密造地帯をさす。ことほど左様に、美しい言葉が美しい事物を表すとは限らない。字句の美しさゆえに、現実の醜さが際立つこともある。
“金三角”指的是印尼半岛的毒品秘密生产地。由此可见,华丽的辞藻并不都是用来形容美丽的事物的。有时,正因为词句美,才更彰显出了现实的丑陋。
▼1938年の晩秋、ドイツ全土でユダヤ人街が襲われ、多くの死傷者が出た。路上に砕け積もったガラスのきらめきから「クリスタル·ナハト(水晶の夜)」の名で現代史に刻まれる。ナチスが扇動した事件から、今夜で丸70年になる。
1938年深秋,整个德国国内的犹太人居住区遭袭,死伤者无数。因为路上堆积如山的碎玻璃闪闪发光,所以,这一夜被命名为“水晶之夜”镌刻在了现代史上。到今晚为止,纳粹制造的这一事件整整过去七十年了。
▼以後、ユダヤ人迫害は強制収容へと加速していく。ドイツが侵攻したポーランドのユダヤ人350万人の一部は北に逃れ、40年の夏、リトアニアに達した。赴任中の外交官、杉原千畝(ちうね)が彼らに大量の日本通過ビザを発給し、6千人の命を救った話はよく知られる。
此后,(纳粹)对犹太人的迫害变本加厉为了强制收容。德国进攻波兰后,350万名犹太人中的一些人逃向北方,于1940年的夏天到达了立陶宛。众所周知,当时的外交官杉原千畝给这批犹太人签发了很多日本通行证,从而挽救了6000条生命。
▼妻の幸子(ゆきこ)さんは、領事館に押し寄せた難民に驚く長男とのやりとりを、自著に残した。「あの人たち何しにきたの?」「悪い人に捕まって殺されるので助けてくださいって言ってきたのよ」「パパが助けてあげるの?」。一瞬、言葉に詰まり「そうですよ」。
他的妻子幸子,在自传中记录下了她与长子间的一段对话。当时,孩子对蜂拥而至到领事馆难民很是吃惊,问妈妈:“那些人到这儿来干什么?”“他们是来求助的,因为有坏人抓他们,还想杀死他们”。“爸爸能帮他们吗?”。一时语塞后,幸子说“是的”。
▼リトアニアはソ連に併合され、領事館は閉鎖を迫られていた。千畝は撤収までのひと月、東京の命に背いて手書きのビザを出し続ける。痛くて動かない腕を幸子さんがもんでいるうち、眠りこける日々だったという。
立陶宛被并如苏联后,领事馆也被迫关闭了。直到撤离前那个月,千畝还在置东京命令于不顾地一直签发手写护照。据说,当时的千畝在妻子帮他揉疼得动不了的手腕时,都常会睡着。
▼86年に他界した千畝。愛妻家としては、天国での単身もそろそろ限界だったに違いない。先月、幸子さんが94歳で召された。お別れの会がきょう、東京の青山葬儀所である。その勇気と、あの狂気に、思いを致す一日としたい。
1986年千畝离我们而去了。深爱着妻子的他一定很快就不是孤身一人地在天国了。因为上个月,九十四岁的妻子幸子仙逝。追悼会今天在东京的青山陵园举行。今天,让我们再次追溯那份曾经的勇气(指千畝)与疯狂(指纳粹)吧。
解说:
背景资料:
杉原 千畝(すぎはら ちうね、SUGIHARA "Sempo" Chiune、1900年(明治33年)1月1日 - 1986年(昭和61年)7月31日)は日本の官僚、外交官。
第二次世界大戦の際、外務省の命令に反してユダヤ人が亡命できるようにビザを発給。ナチス政権下のドイツによる迫害を受けていたおよそ6,000人にのぼるユダヤ人を救ったことで知られ、勇気ある人道的行為を行ったと評価されている。
词语解析:
あい‐さい【愛妻】
1 愛し、大切にしている妻。「―弁当」
2 妻を大事にすること。「―家」
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