战败纪念 世代不忘

角川書店の創業者で国文学者でもあった角川源義(げんよし)に〈命綱たのむをかしさ敗戦忌〉の一句がある。1975年の8月15日にがんで入院し、最期の闘病中に詠んだと、長女で作家の故・辺見じゅんさんからお聞きしたことがある

角川书店创建人,同时也是国文学家的角川源义创作有一首俳句,〈因病住院战败日,求医保命不嫌迟,回望人生无憾事,桩桩件件趣如诗〉。我曾经听他长女已故作家边见纯女士生前说起过,1975年8月15日父亲因罹患癌症住院治疗,这首俳句是在他与病痛斗争的最后那段时间里咏诵的。

同世代が大勢落命したのに、自分は生き延びた。いま病を得て、治療を命綱と頼んでいる。そんな我が身を突き放して眺めた句であろう。源義氏は「終戦」という言葉を嫌った。辺見さんが不用意に使うと、「あれは敗戦だ。終戦なんて簡単に言うな」と怒ったそうだ。譲れない一点だったようである

同龄人大多因战乱而命丧黄泉,自己却存活了下来,如今得了病,还可以靠治疗延长生命。这是一首客观地剖析自己的俳句。源义先生特别讨厌“战争结束”这个词,据说每当边见女士不经意使用时都会遭到父亲的训斥,“那是战败!什么战争结束,不能随便这么说!”在这一点上他是从不让步的。

同じ思いの人は少なくないと見え、この欄でも毎年「終戦」と書くと、ご意見が届く。やや意味合いは異なるが、「終わるものなら、なぜ」と恨む手紙もあって考えさせられる

持有同样认识者看来也不在少数,就在敝栏目,当每年出现“战争结束”的说法时,都会收到很多提意见的来稿。“如果是结束就能说通的话,那是为什么?”尽管情况有所不同,但是,当看到这些甚至愤怒地提出质问的来信时还是让我陷入了深思。

先の戦争での日本人戦没者は軍民で約300万人。その数は戦争の末期に激増し、最後の1年で200万人近くが落命した。特攻、沖縄、空襲、原爆――悲劇の多くがこの間に起きている

在先前的那场战争中死难日本人军民总数约为300万人。这一数字在战争末期急剧增加,最后这1年就有将近200万人失去了生命。特攻、冲绳之战、空袭轰炸直到原子弹爆炸,悲剧的大多数都发生在这段期间里。

特攻隊で8月15日に出撃予定だった人の話を、朝日小学生新聞で読んだ。命拾いしたのだが、数日早く出撃した人もいよう。最後の1年を逆回しして玉音放送を早めてみれば、死なずにすむ人は日々増える。きょうは遅すぎた敗戦の日でもある

我在朝日小学生新闻上读到过一篇对于原特攻队员的专访,他原定8月15日出击迎战。虽然他算是有幸捡了一条命,可也有些人却因为早了几天出击迎战而丧了性命。倘若能倒回最后1年早一点播放天皇投降诏书录音的话,每天将增加多少不必白白送命的人啊。今天也可算是一个迟到了的战败纪念日。

「敗戦」への執着は、無謀な戦いに突き進んだ愚を忘れまいとする戦中派の心であろう。「軍事力の敗北であった以上に若い文化力の敗退であった」と源義氏は述べている。色あせぬ言葉だと思う。

对于“战败”一词的执着表现恐怕是缘于战中派们心情,他们认为绝不能忘记投入这场无谋战争的愚蠢行动。源义先生说过,“正因为是军事能力的失败,所以从中折射出了生机勃勃文化能力的倒退”我认为这句话并不过时。

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