人世亲情 缘何骤减

苦楽をともにしてきた老妻が死んで、葬式もすんだ。隣家の奥さんが通りかかって「お寂しゅうなりましたなあ」。「一人になると急に日が長うなりますわい」。つぶやく夫の向こうに瀬戸内の海――。変哲もないシーンながら、映画「東京物語」のラストは何回見ても胸にしみ入る

同甘共苦一路走来的老妻死了,葬礼也办完了。邻居家的太太从家门前过,体恤地搭话道“人走了,冷清啊。”“人一走,这日子就觉得一下子变长了。”喃喃自语的丈夫面前展现的是辽阔的濑户内的海面。尽管是一幅司空见惯的平常场景,可电影“东京故事”的最后一幕每每看来总是那么的沁人心脾。

監督の小津安二郎は「映画ってのは、あと味の勝負だと僕は思ってますよ」と後に語っている。その術に心ふるわせたファンは多かろう。世界的な巨匠の、きょうは誕生日にして命日。生誕から110年、没して50年にあたる

导演小津安二郎日后曾经说过,“电影这东西,我觉得要的就是这回味。”深深地被其拍摄手法所打动的影迷想必不在少数。今天,是这位世界级巨匠的诞辰日也是忌日,诞生110周年,辞世50周年。

作品の多くは、家族や人のつながりを「無常の相」としてとらえる。古き良きものが崩れていく現実が淡々と示される。作詞家の故・阿久悠さんは小津映画を見ながら、家の間取り図を描いたことがあったそうだ

其作品中有很多是描写家庭及人际关系这一“无常之相”的。淡淡地描述着那些古老且优秀的东西逐渐坍塌的现实。据说,已故词作家阿久悠先生看了小津的电影后曾经描画了一幅家庭关系图。

そこでは家族それぞれが、他の家族を見るともなく目の端に入れながら暮らしている。盆栽をいじる父、料理をする母、本を読む妹、グローブに油を塗る弟――。「絆」という語をあまり叫ばずにすんだ時代かもしれない

在那里的每一个家庭成员,虽然并未刻意观察效仿其他的家庭,倒也亦步亦趋地过着大同小异的生活:收拾盆景的父亲、忙着做饭的母亲、读书的妹妹,还有往棒球手套上打油的弟弟。也许,那是一个不必大肆宣扬什么“亲情”的时代。

いま、「孤」という字が社会にのさばる。むろん家族にも地域にも煩わしさや重荷はある。それを嫌って、つながりを断ち切る方向にアクセルを踏みすぎて来なかったか。功と罪を、古い映画は問うているかのようだ

如今,“孤”这个字正在整个社会里蔓延。当然每个家庭每个地区都有各自的烦恼及负担,但是,因为嫌弃这些而猛踩油门朝着断绝亲情的方向飞奔,这么做是不是太过份了?总觉得其中的功罪好像正在接受着这些老电影的质问。

「おれは豆腐屋だから豆腐しか作らない」と言って作風を変えなかった。今ならどんな映画を撮るだろう。その墓は鎌倉の円覚寺にあって、「無」の一文字が刻まれている。

“我是个开豆腐铺的,只会做豆腐”所以作风是无法改变的,不知道要是大师活到今天会拍摄什么样的电影。斯人之墓位于镰仓的圆觉寺,碑上只镌刻着一个字,“无”。

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