喜迎新年 吉庆连连

万葉集全20巻の掉尾を飾るのは、元旦の祝い歌である。因幡守(いなばのかみ)だった大伴家持(おおとものやかもち)が賀宴で詠んだ。〈新しき年の始の初春(はつはる)の今日降る雪のいや重け吉事(よごと)〉。吉事とはよいこと、幸運なこと。そして当時、雪は豊饒のしるしとされた

万叶集全20卷的收尾处精彩一笔就是元旦柷歌这部分。曾为因幡太守的大伴家持吟诵过一首贺宴歌,〈新年伊始新气象,初春今日瑞雪降,吉事成双兆好运,五谷丰收人健康〉所谓吉事就是好事,幸运的意思,而且,在当时白雪被视作丰收的象征。

めでたい正月にめでたい雪が降るように、よいことがますます重なりますように、という祈りだろう。この歌に昨秋、メロディーがつけられた。「千の風になって」の新井満(まん)さんに鳥取市が頼んだ。元旦だけでなく就職や入学、結婚など、色々な祝い事で歌える仕掛けにしたという

吉庆的新年里喜降瑞雪,昭示着好事成双,这恐怕就是作者的祈愿吧。去年秋天,这首和歌被配上了旋律,是鸟取市拜托“随风而去”的曲作者新井满完成的。据说,是想把它打造成为一首可以在就职、入学、婚庆等各种喜庆场合歌唱的祝愿歌。

もっとも家持の因幡赴任には都からの左遷説があるらしい。とすれば、めでたい心境どころではなかったかもしれない。国文学者の故西郷信綱(のぶつな)さんが辛い評を書いている。〈おのが心の雪空のような落魄(らくはく)を、もっと堂々とうたえなかったであろうか〉。色々な解釈があるものである

原来有一种说法认为家持的因幡赴任是一种降级。如果这一说法成立的话,也许他就不可能有喜庆的心境。已故的国文学家西乡信纲先生曾写下了一段很无情的评语,〈恐怕他没能够更为堂堂正正地吟诵出自我心中那种犹如降雪天空那样昏昏的落魄〉看来,还真是各有各的解释。

2014年のわが日本も一本調子にめでたいというわけにはいかない。暮れの証券取引所は沸いたが、路上で新年を迎えた人々も少なくない。「派遣村」から5年、この年越しも各地で民間の支援団体が炊き出しをしたり弁当を配ったり、奮闘している

2014年我们日本也不可能是喜庆调门一唱到底。尽管年末证券交易所以沸腾之势收盘,可只能在路边迎接新年的人也不少。从组建“派遣村”已有5年,为了度过今年的这个年关,各地的民间后援团体仍在不断地努力,生火做饭,发便当。

家のない人が見えにくくなっているという。屋根だけはあるネットカフェなどで夜明かしする人がどれだけいるか、実態はわからない。家があっても社会と関わらず孤独死に至るお年寄りも増える

据说,无家可归者现在已经不容易见到了,可是要知道那些在有房顶的网吧里盼着天亮的人还有多少啊?实际情况我们并不知道。另外,即便有家可是与社会少有联系并孤独死去的老人仍然有增无减。

なんの力にもなりはしないが、せめてと思ってつぶやいてみる。いや重け吉事、いや重け吉事。

虽然起不到什么帮助的作用,至少在心里还是要挂念着这些人。成双吉事、成双吉事!

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