日语文学作品赏析《硝子戸の中》(1-4)
作者:夏目漱石
来源:青空文库
2010-01-06 00:00
一
硝子戸 の中 から外を見渡すと、霜除 をした芭蕉 だの、赤い実 の結 った梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来 ない。書斎にいる私の眼界は極 めて単調でそうしてまた極めて狭いのである。
その上私は去年の暮から風邪 を引いてほとんど表へ出ずに、毎日この硝子戸の中にばかり坐 っているので、世間の様子はちっとも分らない。心持が悪いから読書もあまりしない。私はただ坐ったり寝たりしてその日その日を送っているだけである。
しかし私の頭は時々動く。気分も多少は変る。いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起って来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人が入って来 る。それがまた私にとっては思いがけない人で、私の思いがけない事を云ったり為 たりする。私は興味に充 ちた眼をもってそれらの人を迎えたり送ったりした事さえある。
私はそんなものを少し書きつづけて見ようかと思う。私はそうした種類の文字 が、忙がしい人の眼に、どれほどつまらなく映るだろうかと懸念 している。私は電車の中でポッケットから新聞を出して、大きな活字だけに眼を注 いでいる購読者の前に、私の書くような閑散な文字を列 べて紙面をうずめて見せるのを恥ずかしいものの一つに考える。これらの人々は火事や、泥棒や、人殺しや、すべてその日その日の出来事のうちで、自分が重大と思う事件か、もしくは自分の神経を相当に刺戟 し得る辛辣 な記事のほかには、新聞を手に取る必要を認めていないくらい、時間に余裕をもたないのだから。――彼らは停留所で電車を待ち合わせる間に、新聞を買って、電車に乗っている間に、昨日 起った社会の変化を知って、そうして役所か会社へ行き着くと同時に、ポッケットに収めた新聞紙の事はまるで忘れてしまわなければならないほど忙がしいのだから。
私は今これほど切りつめられた時間しか自由にできない人達の軽蔑 を冒 して書くのである。
去年から欧洲では大きな戦争が始まっている。そうしてその戦争がいつ済むとも見当 がつかない模様である。日本でもその戦争の一小部分を引き受けた。それが済むと今度は議会が解散になった。来 るべき総選挙は政治界の人々にとっての大切な問題になっている。米が安くなり過ぎた結果農家に金が入らないので、どこでも不景気だと零 している。年中行事で云えば、春の相撲 が近くに始まろうとしている。要するに世の中は大変多事である。硝子戸の中にじっと坐っている私なぞはちょっと新聞に顔が出せないような気がする。私が書けば政治家や軍人や実業家や相撲狂 を押 し退 けて書く事になる。私だけではとてもそれほどの胆力が出て来ない。ただ春に何か書いて見ろと云われたから、自分以外にあまり関係のないつまらぬ事を書くのである。それがいつまでつづくかは、私の筆の都合 と、紙面の編輯 の都合とできまるのだから、判然 した見当は今つきかねる。
二
電話口へ呼び出されたから受話器を耳へあてがって用事を訊 いて見ると、ある雑誌社の男が、私の写真を貰 いたいのだが、いつ撮 りに行って好いか都合を知らしてくれろというのである。私は「写真は少し困ります」と答えた。
私はこの雑誌とまるで関係をもっていなかった。それでも過去三四年の間にその一二冊を手にした記憶はあった。人の笑っている顔ばかりをたくさん載 せるのがその特色だと思ったほかに、今は何にも頭に残っていない。けれどもそこにわざとらしく笑っている顔の多くが私に与えた不快の印象はいまだに消えずにいた。それで私は断 わろうとしたのである。
雑誌の男は、卯年 の正月号だから卯年の人の顔を並べたいのだという希望を述べた。私は先方のいう通り卯年の生れに相違なかった。それで私はこう云った。――
「あなたの雑誌へ出すために撮 る写真は笑わなくってはいけないのでしょう」
「いえそんな事はありません」と相手はすぐ答えた。あたかも私が今までその雑誌の特色を誤解していたごとくに。
「当り前の顔で構いませんなら載せていただいても宜 しゅうございます」
「いえそれで結構でございますから、どうぞ」
私は相手と期日の約束をした上、電話を切った。
中一日 おいて打ち合せをした時間に、電話をかけた男が、綺麗 な洋服を着て写真機を携 えて私の書斎に這入 って来た。私はしばらくその人と彼の従事している雑誌について話をした。それから写真を二枚撮 って貰った。一枚は机の前に坐っている平生の姿、一枚は寒い庭前 の霜 の上に立っている普通の態度であった。書斎は光線がよく透 らないので、機械を据 えつけてからマグネシアを燃 した。その火の燃えるすぐ前に、彼は顔を半分ばかり私の方へ出して、「御約束ではございますが、少しどうか笑っていただけますまいか」と云った。私はその時突然微 かな滑稽 を感じた。しかし同時に馬鹿な事をいう男だという気もした。私は「これで好いでしょう」と云ったなり先方の注文には取り合わなかった。彼が私を庭の木立 の前に立たして、レンズを私の方へ向けた時もまた前と同じような鄭寧 な調子で、「御約束ではございますが、少しどうか……」と同じ言葉を繰 り返 した。私は前よりもなお笑う気になれなかった。
それから四日ばかり経 つと、彼は郵便で私の写真を届けてくれた。しかしその写真はまさしく彼の注文通りに笑っていたのである。その時私は中 が外 れた人のように、しばらく自分の顔を見つめていた。私にはそれがどうしても手を入れて笑っているように拵 えたものとしか見えなかったからである。
私は念のため家 へ来る四五人のものにその写真を出して見せた。彼らはみんな私と同様に、どうも作って笑わせたものらしいという鑑定を下 した。
私は生れてから今日 までに、人の前で笑いたくもないのに笑って見せた経験が何度となくある。その偽 りが今この写真師のために復讐 を受けたのかも知れない。
彼は気味のよくない苦笑を洩 らしている私の写真を送ってくれたけれども、その写真を載せると云った雑誌はついに届けなかった。
三
私がHさんからヘクトーを貰った時の事を考えると、もういつの間にか三四年の昔になっている。何だか夢のような心持もする。
その時彼はまだ乳離 れのしたばかりの小供であった。Hさんの御弟子は彼を風呂敷 に包んで電車に載 せて宅 まで連れて来てくれた。私はその夜 彼を裏の物置の隅 に寝かした。寒くないように藁 を敷いて、できるだけ居心地の好い寝床 を拵 えてやったあと、私は物置の戸を締 めた。すると彼は宵 の口 から泣き出した。夜中には物置の戸を爪で掻き破って外へ出ようとした。彼は暗い所にたった独 り寝るのが淋しかったのだろう、翌 る朝 までまんじりともしない様子であった。
この不安は次の晩もつづいた。その次 の晩もつづいた。私は一週間余りかかって、彼が与えられた藁の上にようやく安らかに眠るようになるまで、彼の事が夜 になると必ず気にかかった。
私の小供は彼を珍らしがって、間 がな隙 がな玩弄物 にした。けれども名がないのでついに彼を呼ぶ事ができなかった。ところが生きたものを相手にする彼らには、是非とも先方の名を呼んで遊ぶ必要があった。それで彼らは私に向って犬に名を命 けてくれとせがみ出した。私はとうとうヘクトーという偉い名を、この小供達の朋友 に与えた。
それはイリアッドに出てくるトロイ一の勇将の名前であった。トロイと希臘 と戦争をした時、ヘクトーはついにアキリスのために打たれた。アキリスはヘクトーに殺された自分の友達の讐 を取ったのである。アキリスが怒 って希臘方 から躍 り出した時に、城の中に逃げ込まなかったものはヘクトー一人であった。ヘクトーは三たびトロイの城壁をめぐってアキリスの鋒先 を避けた。アキリスも三たびトロイの城壁をめぐってその後 を追いかけた。そうしてしまいにとうとうヘクトーを槍 で突き殺した。それから彼の死骸 を自分の軍車 に縛 りつけてまたトロイの城壁を三度引 き摺 り廻した。……
私はこの偉大な名を、風呂敷包にして持って来た小さい犬に与えたのである。何にも知らないはずの宅 の小供も、始めは変な名だなあと云っていた。しかしじきに慣れた。犬もヘクトーと呼ばれるたびに、嬉 しそうに尾を振った。しまいにはさすがの名もジョンとかジォージとかいう平凡な耶蘇教信者 の名前と一様に、毫 も古典的 な響を私に与えなくなった。同時に彼はしだいに宅のものから元 ほど珍重されないようになった。
ヘクトーは多くの犬がたいてい罹 るジステンパーという病気のために一時入院した事がある。その時は子供がよく見舞 に行った。私も見舞に行った。私の行った時、彼はさも嬉しそうに尾を振って、懐 かしい眼を私の上に向けた。私はしゃがんで私の顔を彼の傍 へ持って行って、右の手で彼の頭を撫 でてやった。彼はその返礼に私の顔を所嫌 わず舐 めようとしてやまなかった。その時彼は私の見ている前で、始めて医者の勧 める小量の牛乳を呑 んだ。それまで首を傾 げていた医者も、この分ならあるいは癒 るかも知れないと云った。ヘクトーははたして癒った。そうして宅 へ帰って来て、元気に飛び廻った。
四
日ならずして、彼は二三の友達を拵 えた。その中 で最も親しかったのはすぐ前の医者の宅にいる彼と同年輩ぐらいの悪戯者 であった。これは基督教徒 に相応 しいジョンという名前を持っていたが、その性質は異端者 のヘクトーよりも遥 に劣っていたようである。むやみに人に噛 みつく癖 があるので、しまいにはとうとう打 ち殺 されてしまった。
彼はこの悪友を自分の庭に引き入れて勝手な狼藉 を働らいて私を困らせた。彼らはしきりに樹の根を掘って用もないのに大きな穴を開 けて喜んだ。綺麗 な草花の上にわざと寝転 んで、花も茎も容赦 なく散らしたり、倒したりした。
ジョンが殺されてから、無聊 な彼は夜遊 び昼遊びを覚えるようになった。散歩などに出かける時、私はよく交番の傍 に日向 ぼっこをしている彼を見る事があった。それでも宅にさえいれば、よくうさん臭いものに吠 えついて見せた。そのうちで最も猛烈に彼の攻撃を受けたのは、本所辺から来る十歳 ばかりになる角兵衛獅子 の子であった。この子はいつでも「今日 は御祝い」と云って入って来る。そうして家 の者から、麺麭 の皮と一銭銅貨を貰わないうちは帰らない事に一人できめていた。だからヘクトーがいくら吠えても逃げ出さなかった。かえってヘクトーの方が、吠えながら尻尾 を股 の間に挟 んで物置の方へ退却するのが例になっていた。要するにヘクトーは弱虫であった。そうして操行からいうと、ほとんど野良犬 と択 ぶところのないほどに堕落していた。それでも彼らに共通な人懐 っこい愛情はいつまでも失わずにいた。時々顔を見合せると、彼は必 ず尾を掉 って私に飛びついて来た。あるいは彼の背を遠慮なく私の身体 に擦 りつけた。私は彼の泥足のために、衣服や外套 を汚 した事が何度あるか分らない。
去年の夏から秋へかけて病気をした私は、一カ月ばかりの間 ついにヘクトーに会う機会を得ずに過ぎた。病 がようやく怠 って、床 の外へ出られるようになってから、私は始めて茶の間の縁 に立って彼の姿を宵闇 の裡 に認めた。私はすぐ彼の名を呼んだ。しかし生垣 の根にじっとうずくまっている彼は、いくら呼んでも少しも私の情 けに応じなかった。彼は首も動かさず、尾も振らず、ただ白い塊 のまま垣根にこびりついてるだけであった。私は一カ月ばかり会わないうちに、彼がもう主人の声を忘れてしまったものと思って、微 かな哀愁 を感ぜずにはいられなかった。
まだ秋の始めなので、どこの間 の雨戸も締 められずに、星の光が明け放たれた家の中からよく見られる晩であった。私の立っていた茶の間の縁には、家 のものが二三人いた。けれども私がヘクトーの名前を呼んでも彼らはふり向きもしなかった。私がヘクトーに忘れられたごとくに、彼らもまたヘクトーの事をまるで念頭に置いていないように思われた。
私は黙って座敷へ帰って、そこに敷いてある布団 の上に横になった。病後の私は季節に不相当な黒八丈 の襟 のかかった銘仙 のどてらを着ていた。私はそれを脱ぐのが面倒だから、そのまま仰向 に寝て、手を胸の上で組み合せたなり黙って天井 を見つめていた。
その上私は去年の暮から
しかし私の頭は時々動く。気分も多少は変る。いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起って来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人が入って
私はそんなものを少し書きつづけて見ようかと思う。私はそうした種類の
私は今これほど切りつめられた時間しか自由にできない人達の
去年から欧洲では大きな戦争が始まっている。そうしてその戦争がいつ済むとも
二
電話口へ呼び出されたから受話器を耳へあてがって用事を
私はこの雑誌とまるで関係をもっていなかった。それでも過去三四年の間にその一二冊を手にした記憶はあった。人の笑っている顔ばかりをたくさん
雑誌の男は、
「あなたの雑誌へ出すために
「いえそんな事はありません」と相手はすぐ答えた。あたかも私が今までその雑誌の特色を誤解していたごとくに。
「当り前の顔で構いませんなら載せていただいても
「いえそれで結構でございますから、どうぞ」
私は相手と期日の約束をした上、電話を切った。
それから四日ばかり
私は念のため
私は生れてから
彼は気味のよくない苦笑を
三
私がHさんからヘクトーを貰った時の事を考えると、もういつの間にか三四年の昔になっている。何だか夢のような心持もする。
その時彼はまだ
この不安は次の晩もつづいた。その
私の小供は彼を珍らしがって、
それはイリアッドに出てくるトロイ一の勇将の名前であった。トロイと
私はこの偉大な名を、風呂敷包にして持って来た小さい犬に与えたのである。何にも知らないはずの
ヘクトーは多くの犬がたいてい
四
日ならずして、彼は二三の友達を
彼はこの悪友を自分の庭に引き入れて勝手な
ジョンが殺されてから、
去年の夏から秋へかけて病気をした私は、一カ月ばかりの
まだ秋の始めなので、どこの
私は黙って座敷へ帰って、そこに敷いてある
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