优秀奖

「わたしと日本——日本語学習の中で気付いたこと」

丁亜萍(浙江越秀外国語学院)

私は、大学の専攻を選ぶとき、何となく日本語を選んだ。就職するときに少し有利になるかもしれないと思ったからである。それに、中国語と同じ漢字を使う言語だから簡単だろうと考えていた。しかし、実際に日本語の学習が始まると、そんな甘いものではなかった。漢字は同じでも、文法は全く違っていた。勉強すればするほど日本語の難しさを感じた。

中国語と日本語では、同じ漢字の熟語なのに意味が異なるものがある。例えば「妻子」は中国語では「奥さん」の意味だが、日本語では「奥さんと子供」の意味になる。私はその違いが面白いと思った。同じ漢字の熟語が多いことは分かりやすくていいこともあるけれど、中日での意味の違いを正しく知らないと、困ったことやおかしいことが起こることもしばしばだ。

ある日本人の先生の授業中のことである。先生は私たちに「将来何をしたいと思いますか?」と質問された。あるクラスメートは、「特にやりたいことはまだありません。ただし、夢があります。お金をたくさん儲けて、愛人と一緒に世界一周旅行をしたいです。」と答えた。それを聞いた日本人の先生は、「あなたは浮気するんですか?」と、ちょっとふざけられた。クラスメートが「先生、なぜそんなことを言うんですか」と驚いたように言った。すると先生は、「愛人は、日本語でどういう意味か知っていますか?奥さんの意味ではありませんよ。情婦の意味です。」と、おっしゃったのである。すると学生は、「ええ、そんな…。全然違います、私は大好きな人という意味で使いました。私の奥さんという意味です。」と、本当に恥ずかしそうに答えた。クラスのみんなは、それを見て大笑いした。また、違う授業で「従妹を食い物にする」という例文が出てきた。私は、「従妹を食べちゃうの?」と、驚いてしまった。でも、この「食い物」の意味は「自分の利益のために人を利用すること」という意味だった。私は、なぜ日本語では「食い物」が「自分の利益のために人を利用する」という意味になるのか考えてみた。食べ物を食べることで、食べた人は栄養にして健康を維持したり成長したりする。食べ物を人間が利用しているわけだ。でも、食べ物にとってみれば、それは迷惑な話だ。私は何となく理解できたような気がした。勉強すればするほど、日本語のおもしろさを感じるようになっていった。

私の大学がある街で日本人に出会うことはほとんど無い。初めて直接出会ったのは、日本語師の先生だった。学生の会話練習のために、「日本語コーナー」という時間がある。その担当は日本人の先生方である。場所は大学内にある日本風につくられた部屋だ。靴を脱いで入り、座布団に座る。私は座布団を投げるようにして置いた。それを見た日本人の先生が、「そんなに乱暴に座布団を置いてはいけませんよ。そっと静かに置いてください。」と、私を注意された。その後、私たちが自由な格好で座布団に座っていると、また先生が「皆さん、正座してくださいね。」とおっしゃった。私たち中国人にとって、正座はとても苦しい座り方だ。私は「先生、どうして正座なんですか。足が痛くなるし疲れるので、正座でなくてもよくないですか。」と言った。すると先生は、「こういう場所で座布団に座るときは、日本人は恥ずかしい格好で座ることはしません。正座は日本人の作法です。特に女性にとっては大切なことです。座り方でその人の品格がわかります。」と静かに言われた。そのとき、私は考えた。確かに日本語には複雑な敬語が存在する。相手によってどのように敬意を表すかがとても大切になる。そして言葉だけでなく、人の品格を現し相手への敬意を示す方法である礼儀作法が重要なのだろう。私は抵抗があったけれども、正座で座った。中国は礼節を重んじる国だと言われてきたが、それは過去の話だ。日本人のこの礼儀作法を重視する考え方に学ぶ必要がるのではないかと感じている。

このように、私は日本語を学ぶことを通して中日の様々な違いに気づかされた。そのとき、日本の文化の特徴や日本人の性格を知ることができた。同時に、今まで意識しないで過ごしてきた中国文化の現状と中国人の性格を自覚することも多かった。私は、益々日本への興味が深まり、日本語学習が面白くなってきている。

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