二等奖

「私と日本」

邹欣(深圳职业技术学院应用外国语学院)

日本の印象といえば,富士山や満開の桜、そしてセーラー服姿の小柄な可愛い少女などを頭に思い浮かべる人は少なくないが、私にとって、日本の印象はただそんな単純なものだけではなく、もっと複雑で奥深いものがあるようだ。

私は日本に憧れている平凡な大学生で、もう二年間日本語を勉強した。二年前に「日本語を専攻にしっかり頑張ったらどうか」と勧めてくれたのは仕事の関係で少し日本語を勉強したことのある父だ。その時はただ英語以外の言葉を勉強するのは新鮮だと思っただけだったが、気づいたら今ではすっかり虜になってしまった。

中学生の時に、クラスに日本のアニメが大好きな子が何人もいた。毎日お昼の休憩時間に先生の許可なしに勝手に教室に置いてあった授業用のコンピューターを利用してこっそりとアニメを見ていた。目を光らせてアニメを見ていた彼らの熱狂ぶりは今でも記憶に残っている。でもあの時日本に否定的な態度を持っていた私から見ると、それは非常におかしいことだった。「受験を間近に控えてるのに、ちゃんと勉強もしないあんたたちは馬鹿じゃないの」と心の中でアニメ狂いのクラスメートたちを見下げたことが何度もあった。今思えば、アニメを全然見たことがないのに、偉そうに上から目線で人のことを評価する愚かな自分のことを思うと恥ずかしくてたまらない。

それは、2016年のある平日の午後のことだった。私は今の同級生と一緒に日本のアニメを見た。『君の名は。』という魂の入れ替わった二人の少年少女をめぐって展開する感動的で美しいラブストーリーだった。私は生まれて初めて見たその日本のアニメの想像以上のすばらしさに深く引きつけられてしまい、主題歌を毎日繰り返して聞くほどだった。

その大ヒットしたアニメ映画のおかげで、私は初めて日本語がどれだけ優しくて美しい言葉だろうと感心させられ、昔から心の中で固まっていた「日本も日本語も乱暴でたまらない」という壁が少しずつ取り壊されていき、日本語を聞くと胸が得も言われぬ暖かさに包まれるようになった。悲しい日も心の中で「川辺に満開の桜が艶やかに咲き誇っている」絵を思い描いてみると、まるで肌寒い冬の日に暖かくて優しい春風に撫でられたように、誰にも慰められなくても、曇った心が自ずと晴れてくる。それは日本への憧れというもので自然と生まれてきた不思議な心を癒すマジックだと思う。そう、絶対にマジックだ。

でも、その憧れをなかなか理解できない人もいた。例えば、私はよく身近な人に「お前は何で日本語を勉強しなきゃいけないんだ?昔日本人は我々の土地をあんなに酷く踏み躙ったくせに」というようなことを言われた。その度に私は「……ははは、好きなことには理由がいらないじゃない?」と笑ってごまかしていた。しかし実は、私も自分自身に同じ質問をしたことがある。そして、「三毛」という台湾出身の有名な女流作家を知るまで、私は随分迷っていてなかなか自分の質問に完璧な答えを出せなかった。

『サハラ砂漠の物語』という三毛氏の著作に、「ある日、私は偶然サハラ砂漠の絵を見かけた。すると、まるで前世の郷愁を感じたように、何も言わずに心の中でサハラ砂漠に行こうと決心した。」という文があった。その文を読んだ後、私は思わず手で口を押さえて「そうだ!」と喜んで叫んだ。うまく説明できないけれど、時々夢にも出てくるほど恋している日本への思いは、まさに私にとって「前世の郷愁」だと言えないだろうか。

そして、その幻想の故郷日本と現実の故郷中国をより深く繋ぐため、まだ成人していない私にできることといえば、まずは日本語を学習し、日本を理解することだ。私は中国人の若者として、いつまでも過去の歴史に拘るわけにはいかない。もっと冴えた目で、そして前向きに両国の姿を見ないといけないと思う。まだ私は微力しか持っていないが、努力すればきっとより良い日中関係を作ることに貢献できると思っている。

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