初めての国を旅行する時、「こんにちは・ありがとう・さようなら」という3つの魔法の言葉を覚えておけば、それだけで相手国の人の態度が変わってくる、という話はよく知られています。旅行ガイドブックを開けば、どこかにその国の言葉の簡単な表現が日本語と対照できるように書かれていて、発音しやすいようにカタカナでルビが振られています。そこに取り上げられている表現の中には、必ずと言っていいほど先ほどの3つの魔法の言葉が含まれています。

大家都知道,初到某国旅行,只要记住“你好、谢谢、再见”这3个魔法词,就能让该国人民转变态度。翻开旅游指南,里面肯定有该国语言的日常用语和日语对照,并为方便发音而用片假名做了标注。在列出的用语当中可说必有上述3个魔法词。

この中で、今回は感謝の表現について取り上げますが、日本語の感謝の表現「ありがとう」の由来はそもそも何でしょう?

我们本次就从当中选出有关感谢的表达,日语中表达感谢的“ありがとう”是怎么来的呢?

これは、「ありがたし」という古語の形容詞に由来するといわれています。「ありがたし(有り難し)」は、有ることが難しい、つまり、滅多にないということを意味しますが、これが、相手の好意や行為を滅多にないこととして評価する表現として使われ、やがて感謝の表現として固定化したと考えられています。

据称这是由古语“ありがたし”的形容词而来。“ありがたし(有り難し)”意思是某事很困难,也就是说不多见。用于表达因对方的好意或行为难得而表示赞赏,最终作为感谢的表达固定下来。

相手の好意や行為に対して感謝を表すというのはごく普通のことのように思いますが、もう10年以上前、養成講座の実習クラスでこんなことがありました。

向对方的好意及行为表达感谢极为稀松平常,10多年前的培训讲座实习班里有过这么件事。

2か月にわたる実習クラスに休まず参加してくれたインド人の女性に対して、実習生が感謝の気持ちを伝えようと、その女性の母国の言葉であるヒンディー語で「ありがとう」を何と言うのか尋ねたところ、その女性がとても困った表情をし、「Thank you」でいい、という趣旨のことを述べたのでした。実習生たちは、「ヒンディー語にはありがとう、って言葉がないの?」と、当惑していたのですが、その後、私はインドで数カ月日本語を教えることになり、その女性が言っていたことを納得することになりました。

在连续2个月的实习班中,实习生想要对从不间断参加的印度女性表达感谢之情,就问用该女性的母语也即印地语“谢谢”怎么说,该女性露出很困惑的表情,大概回了句说“Thank you”就好什么的。实习生们都很疑惑,“印地语里没有谢谢这个词吗?”之后,我在印度教了几个月日语,终于理解了该名女性所说的话。

インドの旅行ガイドブックにも大概片言会話集のようなものが書かれており、日常の挨拶やいざという時役立つ表現が、ヒンディー語の他、マラーティー語、タミル語等について日本語と対照する形で書かれています。

印度旅游指南上也印有大概的日常用语集,对于日常问候和紧急时刻有用的表达,除了印地语,还有马拉地语、泰米尔语等和日语对照列出。

その中で、日本語の「ありがとう」に対応するものとしては、ヒンディー語については「ダンニャワード」と書かれていて、あるガイドブックには、道を尋ねて教えてもらったら、「ダンニャワード」と言ってみよう!といった趣旨のことも書かれていたのを覚えています。ところが、実際に、店で物を買ったついでに道を教えてもらった時に「ダンニャワード」と言ってみたところ、店主はある種怪訝な表情をしたのでした。同じようなことは別の場面でもありました。英語で「Thank you」と言えば、「You’re welcome」とにこやかに返してくれる人でも「ダンニャワード」と言うと途端に妙な顔をするのです。魔法の言葉がその魔力を発揮しないのでした。そこで、インド人同士のやり取りを観察していたのですが、やはり「ダンニャワード」を聞くことは結局ありませんでした。

这当中与日语的“谢谢”对应的印地语写着“dhanyawaad”,我还记得另一本指南上写着问路的时候可以说“dhanyawaad”试试!然而我实际在店里买东西顺便问路说出“dhanyawaad”之后,店主露出一种惊讶的表情。类似情况在其他场合也发生过。用英语说“Thank you”对方也会笑着回答“You’re welcome”,可一说出“dhanyawaad”对方就一脸诧异。魔法词没有发挥其魔力。于是我观察了印度人之间的交流,结果还是没有听到说“dhanyawaad”的。

ある時、ニューデリーにあるレストランで食事していたところ、店の前の通りでガチャンというすごい物音がしました。外を見てみると、道路の真ん中になぜか穴があいていて、そこに車が脱輪していたのです。運転手が驚いて車から出てくると、通りにいた男たちが一斉に車に近寄り、誰が声をかけるでもなく、よいしょ、よいしょ、とばかりにみんなで車を持ち上げ、動かしたのです。そういう時でさえ、運転手は手伝ってくれた人たちににこやかに軽く手を上げて、周りの人も笑顔で返しておしまいです。ここでも「ダンニャワード」は聞けず仕舞いに終わりました。

有一次我在新德里一家餐厅吃饭,店前响起哐当的巨响。我到外面一看,道路正中不知怎么开了个洞,车子轮胎陷在里面。司机震惊的从车里出来,路上的男人们一起靠近车子,也没人召集,大家就嘿哟嘿哟的把车子拖着推出来。就连这时候也只是司机笑着对帮忙的人轻轻挥手,周围的人也笑着回礼。也始终没能听到“dhanyawaad”。

そこで、教えていた学習者たちにこの話をしたところ、「先生、ダンニャワードは生きている間に1度も使わないかも知れません」と笑われてしまったのです。よくよく聞いてみると、「ダンニャワード」は、命がけで助けてもらった時等に使う言葉であって、道を聞いたぐらいでこの言葉を使うと、却って相手の能力を過小評価しているような格好になってしまい、相手を見下していると誤解されてしまうことになるということでした。そして、感謝の気持ちを表したい時は、英語で「Thank you」と言えばいい、と言うのです。ああ、そういうことか、と妙に納得し、改めて言葉と文化というものを考えさせられたのでした。

于是,我对教的学生们讲了这个故事,学生们笑着回答“老师,人活一辈子都不一定能用上一次dhanyawaad呢”。细问之下,才知道“dhanyawaad”只在舍命相救时使用,如果问路什么的就用这个词,反而会有过低评价对方能力之嫌,甚至可能被误解成看扁了对方。要表达感谢时只需用英语说“Thank you”就好。啊,是这么回事啊,我莫名其妙的理解了,这也让我再次审视了语言与文化。

「この間はごちそう様でした」

この挨拶を聞けば、大概の日本人は状況がつかめるだろうと思います。ごちそうになった人が、ごちそうしてくれた人に再会した時の挨拶だろうというわけです。もちろん、ごちそうしてもらった時にも感謝の言葉は述べているわけですが、再会した時にまた感謝の言葉を繰り返す、これが日本的な感謝の表し方といわれています。つまり、日本人は、最低2回はお礼を言うわけです。しかし、これが外国人にはなかなか理解できないようです。

“上次承蒙款待”

听到这句话,所有日本人都能了解情况吧。这是被招待的人与请客的人再会时打的招呼。当然,在招待当时肯定也说过感谢的话,再会时再次重复感谢,这是日本式感谢的表达方法。即日本人至少会表达2次谢意。但是,这在外国人看来却难以理解。

初級レベルの日本語の教科書の中には、会話教材の中に過去のことに対してお礼を述べる場面を取り入れていたり(例:『コミュニケーション日本語3』第39課・会話2)、2回のお礼を取り入れていたり(例:『みんなの日本語初級Ⅱ』第41課)しており、当然、授業の中ではその教材を扱う時に、文化的背景について何らかのコメントがなされると思いますが、学習者を観察していると、必ずしも日本人相手に実践できているとは言えないようで、「いろいろ相談に乗ったりしたんですけど、出て行ったらなしのつぶてで……」等というアパート大家さんの愚痴を聞かされたこともありました。

初级日语教科书的对话教材中有对过去的事情表达谢意的场合(例:《交流日语3》第39课·会话2)、以及二次表达谢意(例:《大家的日语初级Ⅱ》第41课)等,在授课中使用教材时,老师也肯定作了一定的文化背景说明,可在观察学生后,发现他们并不一定都能面对日本人进行实践,我也听过公寓房东吐槽说“我给大家作了那么多咨询,可他们一出门就没后文了……”。

こうした日本の感謝の表現については、恩を重んじる精神の表れであるとか、その後の関係の更なる構築のためであるとか、貸し借りを短期的に精算するためである、といった説明がなされます。しかし、こうした日本の文化背景を解説する一方で、相手の文化も理解して、他人の粉を自分の秤で測るような押しつけの態度は慎んで付き合っていく姿勢が必要なのではないかと思います。

对此类日本对感谢表达的说明,有说是重恩义的精神体现,也有说是为之后构筑更紧密的关系,又或者是人情债的短期结算。不过,在说明此类日本文化背景的同时,也需要表现出理解对方文化,谨防把他人的精粹放到自己的天平上测量的强势态度,这样一种来往的姿态是必需的。

声明:本双语文章的中文翻译系沪江日语原创内容,转载请注明出处。中文翻译仅代表译者个人观点,仅供参考。如有不妥之处,欢迎指正。