日语文学作品赏析《啄木と賢治》
○人物にも時々たいへんすぐれた人が出ています。文芸方面でいえば、石川啄木、宮澤賢治などという詩人が出たことは、もう皆さんも知っていることでしょう。啄木の歌や、賢治の詩は学校の教科書にものっていたと思います。「雨ニモマケズ」という賢治の詩などは、思いがけぬほど多くの人に暗記されています。
○石川啄木は明治十八年に生れてたった二十七歳で死んだ詩人ですが、死んだ後になってますます世の中の人に其の詩や歌や小説を読まれ、終戦後にも時代の考え方に大きな力を与え、たいへん一般の人に好かれ、今では啄木を主人公にした映画がいくつも競争で作られるほどになりました。
○啄木は岩手県岩手郡の玉山村という小さな村に生れ、隣の渋民村の学校で勉強しました。少年の頃から大いに勉強して、十八歳頃から長い詩を書き、二十歳の時一冊の詩集を出した位ですが、それからの七年間東京に出たり、北海道へ行ったり、生活の為にずいぶん苦しみ通して、社会と個人生活との関係について深く考え、ついに世の中にさきがけて社会主義と自由思想との真理をつかみました。歌の多くはそういう思想から自然と出て来る切ないほどの思いに満たされていて、それをよむと誰でも、本当だなあ、と感ぜずにいられないほど身にしみる力を持っています。日本古来の不自由な和歌というものを啄木はまるで新らしい自由なものにしてしまいました。
やはらかに柳青める北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに
などという歌でも、よんでいるといつのまにか強く心が動かされてくるでしょう。
○もう一人の大詩人宮澤賢治は稗貫郡花巻町に明治二十九年に生れ、この人もたった三十八歳で死にましたが、その為しとげた仕事の立派さは驚くばかりです。此の詩人の詩や童話は実にたくさんあり、どれをよんでみても心が清められ、高められ、美しくされないものはありません。非常に宗教心にあつく、
○啄木といい、賢治といい、皆誠実な、うその無い、つきつめた性格の人でした。
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