日语文学作品赏析《女流作家として私は何を求むるか》
芸術家としての素質に就いて女性をどう観るかという事に就いては、私は女性にも十分に芸術家になり得る天分は賦与されていると思います。趣味の上から、その生活に
これは僅かにその一二の例に過ぎないが、これらの点からも女性はもっともっと力強く自己を開拓する必要があると思います。
私は過去の自分の創作やその態度に非常な飽き足りなさを感じたことから、今度の長篇に対してはこれまでとは全く異った気持で向っています。私は過去の生活が割合に順調であった為めに、それから
今月の『新小説』の和辻哲郎氏が「入宋求法の沙門道元」に就いて書いて居られるが、あの中の「即ち十丈の竿のさきにのぼって手足を放って身心を放下する如き覚悟がなくては」という気持、あの「人を救うための求道ではない、真理の為めに真理を究める求道」であるという心境、それを私は求めたいと思います。私の目下はあの地虫が春が来てひとりでに殼を破って地上に抜け出る、あの漸進的な自然の外脱を得たいと思います。
至純な芸術境にあって死身に仕事が出来れば結構ですが、要するに其も質の問題だと思います。エルマンをお聴きでしたか。世の中に一人あって二人とないあの芸術、物理学的な機械観念から離れた真実の心音、あの心境が創作の上に移し得られるならばと思います。名匠が仏体を刻む鑿の音、其処にあって私は仕事がして見たいと思います。私はあの里見□氏の芸術からその気持が享容れられます。
私は創作は議論ではない力だと思います。それはお互いに争った両人の画家が、最後に無言で両人の作品を並べて其力を批判した力其物の表現だと思います。
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