最近日本の婦人作家は、作家的経験が蓄積されて来たという関係もあって、いわば一人一人が一本立ちになり、一応婦人の自主性がこの社会で高められたようでもあるが、その蕊にふれて観察した場合、私共の見出す答えは何であろうか。婦人作家たちも技術的に成長し、社会的に成長して来た今日、婦人作家たちの間に一種の社会的分化が生じて来ていることは明らかなのである。
 文学がどんなに社会的な性質をもっているものであるかということは、婦人作家として近頃進み出して来ている女のひとたちの生活と作風とが雄弁に語っていると思う。岡本かの子氏、小山いと子氏、川上喜久子氏、いずれもそれぞれ生活にゆとりのある中年の夫人たちである。社会的に文学者の生活が困窮への道を辿り、そのことではとりも直さず日本のインテリゲンツィアの一般的な窮乏、勤労者化が語られている今日、原稿料などは問題でなく、時間を好むままにつかって自身の空想、幻想、官能を文学の形にまとめてゆく夫人たちが、今日の登場をしていることは、実に注目に価するのである。
 従来の文学が大衆の生活から游離していることが問題となっている一方に、今日は文学における顕著な貴族主義がある。貴族主義的男の作家、評論家もあるが、昨今出場して来る婦人作家に一貫した特徴としてこの事が際立っているのである。知識階級の婦人、サラリーマンの妻娘たちの生活、一般の女の経済生活は浴衣一枚の実際から切りつまって来ている。その半面に現れている婦人作家たちの貴族趣味は、何と考えられるべきなのであろう。
〔一九三七年六月〕

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