毎月僕のところへも、各種の劇団からプログラムと切符とを送つてくれる。プログラムにはひと通り眼を通すが、切符は利用すること稀である。失礼だが、僕の食慾をそそるに足るものがない。作者も脚本も俳優も演出家も、それらを知ると知らざるとに関係なく、舞台は大体想像がつく。プログラムの匂ひをかげばわかるやうな気がする。
 なかには、僕の脚本を無断で上演してゐるのがある。そんなのは、なほさら見なくてもわかる。
 体裁だけはなかなか凝つてゐるが、筋書の文章が幼稚でキザで情けないものが多い。
 要するに、プログラム一つで、劇団の精神、頭脳、面貌、歩き方が、自ら察せられることは事実だ。どんなに一生懸命でも、どんなに宣伝に骨を折つても、信用できないとなれば誰も観に行く気はせぬであらう。
 ところで、近頃、珍しくこのプログラムが、僕を緊張させた例がある。また無断上演かといふと、さうではない。ある劇団で僕には未知の作者の脚本を上演するのだが、プログラムの筋書を何気なく読んで行くうちに、これは相当いいものに違ひないと、僕は更めて作者の名を見た。創作劇不振の今日、先づ佳作の部に属すべきものではなからうかと、それからこの作品の載つた雑誌のありかを考へたりした。演出者の名前から推しても、あるレベルに達したものに相違ないといへるのだが、しかし僕は、この新作家の出現を、なにかしら、由々しいことのやうに感じた。
 その後多忙を極めてゐて、実はまだその作品の載つた雑誌を手にしないでゐるが、実物を読まぬさきに運試しのやうな心持で、このノオトを書きつけておきたいのである。
 それは創作座の出し物の一つ、真船豊作「鼬」のことである。この若い劇団は、今度の旗揚興行に、もう一つの岡田女史の「数」をも含めて、先づその出し物に於ては成功したと断じてよからう。
 プログラムの誘惑とはかくの如きであらう。(一九三四・一〇)

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