「現在、ネット上に上皇ご夫妻への誹謗中傷があふれています。たとえば8月に報じられた、ご夫妻が軽井沢で静養されているというネット記事に対しては、《静かにお忍びで行こうと思えば行けるのに報道陣をわざわざ呼んで記事にさせるのは何故なの? テニスコートのお話も古過ぎて老人しか知りませんし時代遅れのロマンスは興味もないです》といったコメントが書き込まれ、多数の人々が『いいね』を付けていました」

“现在网上有很多诽谤中伤上皇夫妇的言论。比如今年8月的时候,有媒体报道上皇夫妇到轻井泽静养,对此就有网友发布言论称‘明明他们能自己悄悄就去了,为什么还专门叫媒体过去报道?还报道什么网球场故事,太老了吧这种故事只有老年人才听过吧,我们对这种老掉牙的浪漫没兴趣’,还收获了很多网友的点赞”。

そう語るのは名古屋大学准教授の河西秀哉さん。

名古屋大学副教授西河秀哉如是说道。

「なかには上皇后さまを『皿婆』という隠語で呼んでいるケースもあります。外出するときにかぶっていた帽子が小皿のように見えると揶揄する言葉です。この問題を放置しておけば、象徴天皇制・皇室の危機につながるのではないかと考えています」

“甚至有人叫上皇后是‘盘子老太太’的。就是为了讽刺她外出时常戴的帽子像盘子一样。如果此类问题一直放置不管,恐怕会招致象征天皇制以及皇室的危机”。

確かに誹謗は身に着けておられるものにまで及んでいる。美智子さまが白内障の手術以来かけられているサングラスに対しても、《ヤクザ屋さんでもあるまいに》《サングラス取ると、人相悪いの目立つから?》といったコメントが書き込まれていた。

的确,此类诽谤中伤言论已经上升到了人身攻击。美智子上皇后做过白内障手术之后,外出会戴墨镜,对此也有很多中伤言论称“又不是黑社会”、“是因为摘了墨镜之后面相不好太显眼了才一直戴着吗?”。

「かつて病気療養中の雅子さまがメディアから批判されていたことがありましたが、そうした状況を作り出したのが上皇ご夫妻だったと考え、中傷をしている人々もいます」(河西さん)

“过去,正在养病的雅子妃曾遭受过媒体的批判,很多人猜测是上皇夫妇故意为之,因而对他们发布了很多中伤言论”。(河西)

10月20日に89歳の誕生日を迎えられる美智子さま。そのご生涯のなかで、“誹謗の嵐”に直面するのは初めてではない。1度目は’59年のご成婚当初のことだった。

10月20日,美智子上皇后迎来了自己89岁生辰。而这也不是她人生中第一次直面“诽谤风暴”。她第一次遭到语言暴力是在1959年结婚前后。

「初めての民間からの皇太子妃として大変な注目を集めましたが、旧皇族・旧華族などがこれに反発していて、日清製粉社長のご令嬢であられた美智子さまのことを“粉屋の娘”と陰口をたたいている、という噂が当時もありました。

“她是第一位从平民之女摇身成为皇太子妃的,因此受到了日本国民的广泛关注。但旧皇族和贵族都非常反对她嫁入皇室,有传言说,当时他们背地里叫日清制粉社长的千金美智子为‘面粉店家的姑娘’。”

この言葉は美智子さまご本人のお耳にも届いており、お心をひどく痛められていました。 『粉屋の娘という言葉を聞くたび、父はつらいだろうと胸が痛かったです』と、当時を振り返っておっしゃっていました」

“这种话也传到了美智子本人的耳朵里,她当时也非常难过。她曾回忆:‘每次听到面粉店家的姑娘这个称呼就会觉得父亲一定会很难过,所以我也很是痛苦’。”

そう本誌に証言していたのは、美智子さまの古い知人であるAさん。すでに鬼籍に入ったAさんだが、美智子さまが皇后でいらしたころに度々お目にかかり、そのご苦悩も伺っていた。

如此对《女性自身》杂志记者讲述的,是美智子上皇后的一位故知好友A。A虽已离世,但在美智子成为皇后时,经常与A见面,A也把美智子的痛苦看在眼里。

30年前、批判が続き、ついにお倒れに……

30年前,批判不断,最终倒下......

2度目の“誹謗の嵐”は、’93年に日本を騒然とさせた一連の“美智子さまバッシング報道”だった。

第二次“诽谤风暴”,是1993年让整个日本为之震惊的一系列“责难美智子皇后”的报道。

「この年、《昭和天皇が愛した皇居自然林が丸坊主 美智子皇后のご希望で》(『週刊文春』)をはじめとした批判報道が相次ぎました。

“这一年,发出了《昭和天皇钟爱的皇居园林变枯林 美智子皇后的要求》(周刊文春)等一系列批判报道”。

上皇ご夫妻が夜更かしをし、深夜2時にインスタントラーメンを所望されるために、職員が疲弊しているといった内容の記事もありました。当時は平成になってまだ5年。昭和時代の体制を懐かしむいわゆる“守旧派”からの批判が美智子さまに集中したのです。

“还有报道里写上皇夫妇熬夜不睡觉,深夜2点想吃方便面,让职员很是疲惫。当时年号刚换成平成才5年。怀念昭和时代体制的那些所谓“守旧派”的批判就集中在了美智子身上。”

’93年10月20日、59歳のお誕生日当日に美智子さまが倒れられ、しばらく声を出すことができない事態に……」(宮内庁関係者)

“1993年10月20日,美智子在她59岁生日当天突然病倒,一时间无法出声说话......”(宫内厅相关人员)

一連のバッシングのきっかけとなったのは、『週刊文春』(’93年4月15日号)に掲載された特集記事。昭和天皇崩御後、吹上御所(当時)には香淳皇后がお住まいだったため、新しい御所が建設されたが、その経緯に対する批判だった。

一系列责难的起源,是《周刊文春》在1993年4月15日号刊中刊载的特集。昭和天皇驾崩后,香淳皇后还居住在当时的吹上御所,所以需要修建新的御所,特集就对这一系列经过进行了批判。

「記事の内容は“新しい御所は以前のものとは比べものにならないくらい豪華である”“美智子さまが香淳皇后のにおいが残る御所に移りたがらず、そのために新御所が建設されることになった”といったものでした」(前出・宮内庁関係者)

“报道中写道:‘新御所比旧的豪华了不知道多少倍’、‘美智子皇后不想搬到留有香淳皇后痕迹的御所,所以才要修建新御所’。”(上文宫内厅相关人员)

Aさんは、その報道直後の美智子さまとの会話も記録していた。

A记录了这篇报道后她和美智子的聊天内容。

「記事には“吹上御所は老朽化のため雨漏りしている”という間違ったコメントも記載されていました。その点について美智子さまは、『こともあろうに皇太后さまを雨漏りしているところにお住まわせしているのでしたら、私たちはどんなにお詫びしてもしきれません』と、おっしゃっていました。

“报道里还把‘吹上御所因年久失修漏雨’这种错误的言论也写了进去。对此美智子皇后说:‘要是真让皇太后住在漏雨的御所里,我们可真是再怎么道歉都说不过去啊’。”

香淳皇后には当時、認知症の症状がありました。美智子さまは『ご生活がお変わりになるということで、あのご年齢の方にどんなに大きな打撃を与えてしまうか』とお考えになり、新御所建設に賛成されたそうですが、その思いが曲解されていることに衝撃を受けていらしたのです」

“香淳皇后当时已经出现了痴呆症的症状。美智子觉得‘上皇后这么大的年龄,突然改变她的生活环境会给她带来多大的打击啊’,所以才同意修建新御所,但媒体似乎曲解了她的意思,因此美智子也备受打击”。

この後から中傷ともいえる批判報道は激化し、Aさんは美智子さまのお悩みについても伺っていた。そのなかで特に印象に残っている美智子さまのお言葉があった。

在这之后,这种称得上是中伤的批判报道愈演愈烈,A也问过美智子上皇后的烦恼。那时候,美智子的一句话让A印象深刻。

「たとえ海の上が嵐になっていても、海の底は静かなもの。きっとこういう試練にも意味があるのでしょう」

“就算海面波涛汹涌,海底也依旧波澜不惊。我想这种试炼肯定是有它的意义在”。

だが心を静かに保とうとされ、試練に耐え続けた美智子さまにも限界が……。ついにお倒れになったのは、このお言葉を語られてから1カ月ほど後のことだった。

然而,就算美智子再怎么努力维持内心的平静,不断忍耐试炼的她最终还是到达了极限......。在这些恶语产生的一个月后,她还是倒下了。

河西さんはこう語る。

河西教授这样说道:

「上皇上皇后となられ、ようやく“第二の人生”を歩み始めたご夫妻への誹謗が続けば、天皇皇后両陛下のご公務への意欲にも影響しかねません。いつバッシングの矛先が向くかと、お心も休まらないでしょう」

“如今,上皇和上皇后已经退休开始了自己的‘第二人生’,如果继续伤害他们,可能会影响天皇和皇后两位陛下执行公务的意愿。因为他们可能也要时刻提防,恶语这把利刃不知何时就会转向自己”。

30年のときを経て、3度目の誹謗の嵐にさらされている美智子さま。一刻も早くこうした中傷がおさまり、お心が安らぐ日が訪れることを祈りたい。

在那之后又过了30年,如今美智子上皇后又面临第三次“诽谤风暴”。希望这样的暴力能够尽早停止,美智子上皇后能够安心颐养天年。

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