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野山に遊び、柳の枝を挿す

江蘇、浙江両省の水郷地帯は、川がたくさん流れており、墓の多くは遠い山地にある。そのため、墓参りは一日がかりだ。昔は、お金持ちの人たちがよく船を出した。その船は、祭祀用品を積んだ「祭品船」、男が乗る「男賓船」、女が乗る「女賓船」、料理人が乗る「厨師船」があり、その規模は大きく、堂々たる船団である。

江苏、浙江两省的水乡地带河流众多,墓大多都设立在偏远的山地。因此,扫墓需要花上一天的时间。古时候,有钱人家经常乘船出去。一般设有专门装载祭祀品用的“祭品船”,男子乘坐的“男宾船”,女子乘坐的“女宾船”,厨子们乘坐的“厨师船”,整个船队规模宏大、场面壮观。

封建的な教えに束縛されて、日ごろ、家に引きこもって外出しない大家の令嬢たちにとっては、清明節の墓参りは、めったにない気晴らしの時である。彼女らは真新しい服を着て、舟に乗り、沿岸の風景を愛でる。さらに山野で遊び、楽しむ。道すがら歓声と笑い声は絶えず、実に楽しい。

对于被封建礼教所束缚,平常足不出户的大家闺秀们来说,清明节的扫墓,是罕有的能够外出散心的机会。她们穿着崭新的衣服,乘着小舟,欣赏着沿岸的风景,流连于山野之间,沿途欢笑不绝,其乐无穷。

男性にとっては、船旅で、幸いにして美しい婦人にめぐり会えるのが楽しみだ。地元ではこう歌われている。「正月灯 2月鷂 3月上墳船上看嬌娘」(正月は元宵節に灯籠を愛で、2月はを揚げ、3月は墓参りして、舟の上でかわいい娘を見る)

对于男子来说,最大的乐趣则是趁着坐船出游的时候,会见美丽的女子。当地的歌如此唱道“正月灯、二月鹞、三月上坟船上看娇娘”(正月里看灯笼,二月里放风筝,三月里扫墓并且在船上看美丽可爱的女子)

もともと、清明節は春の遊びの日であった。その風習は、古代の3月3日の上巳節にその源がある。この日は、朝廷の百官から百姓平民まで、とりわけ若い男女はみな祭りの盛装に身を包み、食べ物を持って郊外に春の遊びに出かける。宮廷人や富貴の人たちはさらに野原に天幕を張る。彼らはまず川に入って身を清めてから岸に上がり、心ゆくまで遊び戯れるはなはだしい場合は、ここで密会し、野合することさえある。

原本,清明节就是春游的日子。这个风俗起源于古代的三月初三的上巳节。这一天,从满朝百官到平民百姓,尤其是青年男女,大家都身穿节日的盛装,带着食物到郊外去春游。宫里和富人们甚至会在野外搭建帐篷。他们先到河里去洗干净自己的身体,然后上岸随心所欲的嬉戏玩耍。更有甚者,会在这时候偷偷幽会、野合。

これが上巳節の「清め」であり、生命の源である水の中で一年の穢れと不祥を洗い清め、あわせて後継ぎの子を得て、一族の人数が増え、発展することを祈るのだ。

这也就是上巳节的“祓禊”,用被认为是生命之源的水来洗净一年来的污秽和不祥。同时祈祷整个家族繁荣昌盛,多子多孙。

後に、上巳節や川に入って身を清める習慣は、北方では次第に消滅したが、南方では民間で、なお清明節に行われる春の野遊びの風習として残っている。とくに南方の少数民族は今でも、3月3日に「歌節」を挙行し、清明節にはブランコ遊びや凧揚げ綱引き、弓矢の射的などの遊びを行っている。

后来,上巳节也好到河里去清洗身体的习惯也好,在北方逐渐消失了,即使在南方也仅仅只在民间留下了清明节到野外去春游的习俗。比较特别的是南方的少数民族,如今还会在三月三的时候庆祝“歌节”,进行荡秋千、放风筝、拔河、射击之类的娱乐活动。

興味深いことは、古人が卵とを生殖崇拝の物としていることだ。彼らは川に入って身を清めるとき、川の中に卵と赤い棗を流し、漂流してくる卵や棗をすくい取ることによって、子宝が授かる象徴としていた。

颇有意思的是,古人将鸡蛋和红枣作为生殖崇拜的象征物。他们在河里清洁身体的同时会于水中放入鸡蛋和红枣并任其流之,谁捞到漂流的鸡蛋或者红枣,就是上天赐子的象征。

魏晋時代(220~420年)には、文人や詩人が漂流物を卵や棗から酒盃に変えた。これは、酒を入れた酒盃が流れついたところにいた人が、直ぐに詩を吟じ、対句を作る。そうしなければ、罰としてその酒を飲まなければならないというものだ。これは「曲水流觴」(日本では「曲水の宴」という)と呼ばれるな遊びで、かつては大いに流行した。晋代の大書家、王羲之の『蘭亭集序』の中に、こうした文人たちの遊びが記述されている。

魏晋时期(220-420年),文人骚客们将漂流之物由鸡蛋和红枣换成了酒杯。盛酒的酒杯漂到谁的面前,谁就要吟诗作对。要是作不出诗的话,就要被罚酒。这就是被称为“曲水流觞”(在日本被叫做“曲水の宴”)的雅乐,曾经风靡一时。晋代的大书法家王羲之的《兰亭集序》中,就记载了文人之间这样的活动。

この風習は日本にも伝わり、紙で作った人形を流すように変わり、後にはそれが泥や木で作られた人形になった。それが現在も広く行われている雛祭りである。

这个风俗传到了日本,就变成了用纸做的人偶漂流,到后来就变成用泥或者木头做成的人偶漂流。这就是直到现在还一直广为流行的女儿节。

清明節には、柳の枝を髪に挿したり、柳で作った輪を頭に載せたりする風習もある。もし清明節に柳の枝を挿さないと、病気や貧困になり、早く老いると民間では信じられている。「清明節に柳を挿さなければ、紅顔変じて皓首(白髪頭)となる」といわれている。

清明节,还有在发间插柳枝,用柳条编成柳圈戴在头上的习俗。在民间,人们认为清明节要是不插柳枝,就会生病、贫困以及早衰。“清明不戴柳,红颜成皓首。”

墓参りから帰ってきたら、門の横木の上に柳の枝を挿し、子どもたちの頭の上に、柳で編んだ輪を載せてやらなければならない。柳で編んだ輪は、唐の時代、皇帝から大臣が賜った。

扫墓归来,必须要把柳枝插在门梁上,孩子们的头上也得戴着柳圈。唐朝的时候,皇上会把柳圈赐给大臣。

さらに、井戸端や馬車の上にも柳の枝を挿すこともある。このため、清明節は「挿柳節」とも呼ばれる。もともと、柳を挿したり、頭に載せたりするのは、これで毒虫を避け、百鬼を駆逐し、老化を防ぎ、世継ぎまで得られると民間では見なされているからだ。

甚至还有人把柳枝插在井边或者马车上。因此,清明节也被称作“插柳节”。本来,民间就认为插柳枝,把柳圈戴在头上等是可以趋鬼逐虫,甚至可以防止衰老、旺子旺孙。

人々がこれほどまでに柳を崇拝するのは、柳が春になるともっとも早く芽を吹くだけでなく、頑強な生命力と旺盛な生殖能力を持っているためだ。そこで柳の枝の力を借りて、幸福と安全、健康、一族の繁栄祈念するのである。

人们之所以如此崇拜柳条,是因为柳不但在春天最早发芽,而且具有顽强的生命和旺盛的繁殖能力。因此人们希望借助柳枝的力量,祈求幸福安康,祈求家族的繁荣。

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