観光客で賑わう浅草寺の隣に、奥ゆかしく建っている浅草神社。漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の主人公「両さん」は、子供の頃によくここで遊んだのだそう。ここには、コミック発行部数が1億3000万部を超えた記念石碑も建っていて、「友情はいつも宝物」と書いてあります。七福神巡りの先々には、様々な石碑、記念碑があり、神様だけでなく見て回るのもまた楽しめます。

在游人终日络绎不绝的浅草寺旁边,就是造型典雅的浅草神社。据说,漫画《这里是葛饰区龟有公园前派出所》的主人公两津勘吉小时候常常在这里玩耍。为纪念该漫画发行量超1亿3000万部,在这里还立了一块写有“友情总是宝贵的”的石碑。在巡拜七福神的地方,不仅可以看到神像,还可以看到各式各样的石碑、纪念碑,这也是一种享受。

大漁をもたらす招福・開運の神様 恵比須

恵比須是丰渔之神、招福开运之神

浅草神社はなんといっても三社祭で有名ですね。浅草寺のご本尊を拾った檜前浜成、竹成(ひのくまのはまなり、たけなり)兄弟、自宅を寺としてご本尊を奉安した土師真中和(はじのまつち)の三人を郷土神として祀ったことから「三社権現」と呼ばれています。このように浅草寺の起源となった人物を祀っていることからもわかるように、元々は浅草寺と深い関係にあったそうですが、明治時代に「神仏分離令」が発布された時、浅草寺と袂を分かつことになったといいます。

不管怎么说,浅草神社的三社祭还是很有名的。来供奉曾经创建浅草寺的三人--拾到浅草寺的本尊圣观世音菩萨的佛像的桧前浜成、桧前竹成俩兄弟、把自家宅子作为寺庙供奉本尊的土师真中和,把他们作为菩萨化生的三社大神,称为“三权现社”。这就是浅草寺的起源,祭祀相关人物。明治时期的“分离神佛令”,把浅草神社和浅草寺分开了。

さあ、鳥居を抜けると真正面に社殿が見えます。驚いたことに、現在の社殿は慶安(1649)年、あの有名な江戸の三代将軍・徳川家光が建立寄進されたとのこと。日光東照宮と同じ建築様式「権現造り」と呼ばれる木造建築物です。350年もの長い間、大火や関東大震災、そして東京大空襲などの被害を免れ、今に残っているのです。

穿过神社入口处的牌坊,便看到正对面的神殿。让我惊讶的是,现在的神殿是1649年,大名鼎鼎的江户第三代将军德川家光出钱建造的。和日光东照宫的建筑样式一样,是“权现造”的木式建筑。在350年之久的岁月里,它躲过了大火、关东大地震、东京大轰炸等等,保留至今。

社殿を正面に見て右側奥には、「被官稲荷神社」がひっそりと佇んでいます。ここは、テレビドラマや小説などでもよく登場する“江戸の火消しの親分”キャラクターの元になった人物・新門辰五郎が、妻女の病気快復を祈願した伏見稲荷神社からご神体を浅草神社境内に勧請したのが始まりだそう。

从神殿的对面看过去,右边往里,“被官稻荷神社”静静地伫立在那里。经常出现在电视剧和小说里的“江户时代消防队队长” 的原型新门辰五郎为了祈祷妻子女儿病体康复,把伏见稻荷神社的神像请到浅草神社。据说这就是“被官稻荷神社”的来由。

さて、お話を七福神に戻しましょう。
ここ浅草神社には、浅草七福神の恵比須様のご神像が祀られています。極彩色の木彫りで造られた恵比須様は、江戸期以来浅草寺の大黒天と共に信仰を集めてきたそうですが、大変残念なことに、現在は1年を通して開帳が行われず、直接参拝することはできません。

还是让我们回到七福神的话题吧。
这个浅草神社还是供奉浅草七福神的惠比须神像的地方。听说自江户时期以来,木头雕刻、色彩缤纷的惠比须神像就和大黑天神一起被人们所信仰,遗憾的是,现在一年到头惠比须神像都不开帐,不能直接参拜了。