舞台仕込みのテンポやセリフの掛け合いで、独特の笑いを織り交ぜた物語が人気を集める脚本家、宮藤官九郎。その宮藤が自身初となる“社会派ドラマ”を書くらしいと話題になったのは2016年初めのころだった。

编剧宫藤官九郎凭借舞台表演的速度和台词对唱,穿插有独特玩笑的故事获得人们喜爱。宫藤第一次创作“社会题材剧”并引起人们关注是在2016年初的时候。

宮藤が選んだテーマは「ゆとり世代」。

宫藤选择的主题是“宽松世代”。

焼き鳥店チェーン会社の社員(岡田将生)、小学校教師(松坂桃李)、浪人生(柳楽優弥)の3人の主人公たちに共通するのは1987年生まれであること。公立高校に週休2日制が導入された2003年に高校入試を受けたいわゆる「ゆとり第一世代」である。宮藤はなぜ「ゆとり」をテーマに選んだのか。

烤鸡肉串连锁店铺的员工(冈田将生)、小学教师(松坂桃李)、落榜生(柳乐优弥)三个主人公共同的地方就是都出生在1987年。2003年公立高中引入双休日制度,这时参加高中入学考试的人是“第一代的宽松世代”。宫藤为何以“宽松”作为主题呢。

「これだから“ゆとり”は」――。その言外に含まれる数々のマイナスのニュアンスを背負いながら社会にもまれ、不器用にも奮闘する彼らの姿を、仕事や恋愛、家族関係での葛藤を交えながら描いた。7月末に発売となったシナリオブック『ゆとりですがなにか』では、演じ手の俳優たちが撮影現場を振り返りながら和やかに語り合う座談会も収録されている。

“我就是宽松世代嘛’”——。一方面背负着言辞之外包含的诸多消极意味,同时又历经社会锤炼、艰苦奋斗的主人公,在剧中掺杂着工作、恋爱和家庭关系的纠葛被刻画出来。7月末发售的剧本《宽松世代又如何》还收录了演员回顾拍摄现场、融洽交流的座谈会部分。

「『Mother』のような骨太な作品を出している演出家の水田伸生さんともう一度、連続ドラマを作りたいと思ったのが出発点です。テーマは何かと考えて、ゆとり世代を描きたいなというのはすぐ決まりました。ゆとり世代の部下を叱責したら次の日に自殺したというプロットを考えて『これだと連ドラにならないですよね?2時間ドラマでやりませんか』と水田さんに提案したら、『“世代”というのは極めて連ドラ的なテーマだから、じっくりと話をつくっていきましょう』という反応で。だったらと、自殺は人違いだったという展開に変えて、より多面的にゆとり世代を表現できるように人物も増やしていきました」

“我的出发点是想再一次和水田伸生(创作了剧情严整的《Mother》)创作连续剧。在考虑主题时,我们立刻决定要描写宽松世代。斥责宽松世代的下属后,第二天这个下属就自杀了,对于这一情节我向水田提议‘这样一来就拍不成连续剧了吧?要不要做成两个小时的电视剧’,然后水田说‘世代这个主题完全可以做成连续剧,所以我们慢慢来’。于是,我们把自杀变为认错人这个情节展开,增加人物来更多方面的表现宽松世代。”

ゆとり世代は「わけがわからない。だから面白い」

宽松世代“让人搞不懂,所以才有趣”

「ゆとり世代」に着目した理由。それは、宮藤自身が感じていた違和感が発端となっている。1970年生まれの46歳の宮藤にとって「ゆとり世代」は一回り以上も違う「わけのわからない世代」だった。

之所以着眼于“宽松世代”,起初是因为宫藤自身所感受到的违和感。对于1970年出生的宫藤而言(46岁),“宽松世代”是十分不同的“让人搞不懂的世代”。

「映画を撮っている時の助監督さんに、ちょっと面白い若者がいまして。通常、助監督は小道具とか撮影に必要なものを早めに集めておいて『監督、これでいかがでしょうか』とお伺いを立てるんですが、彼はいつまで待ってても何も言ってこないんですよ。しびれを切らして僕から『なんか聞くことないの?』ていうと『今日撮るシーンのアレですけど…、コレでいいですか』って。『全然よくないけど、今日だから変更しようにも間に合わないよ。いつからコレ持ち歩いてたのよ?』『3日前からです』『なんで来ないの』『いや、あの、タイミング図るのが、ちょっと…』みたいな(笑)。そういうのが何度か続いたとき、なんか面白いなって。僕らにしたら全然わけわからない行動だし当然叱られたりするんですけど、彼らもきっと何かを考えているんだろうなと。“ゆとりだから”だけで済ませちゃいけないのかもしれないなと思ったんです。不可解な相手を理解したいという個人的な思いが最大の動機でした」

“我拍电影的时候遇到一个比较有趣的年轻副导演。一般情况下,副导演都会早早准备好小道具、摄影等必要的东西,然后询问‘导演,这样可以了吗',但是这个副导演无论等到什么时候都不来问我。我等得不耐烦了就跟他说‘有没有什么要问的?’,对方回答‘今天拍摄的那个场景...、这样可以吗’。‘完全不好呀,但是今天变动也赶不上了奥。什么时候就有问题的’‘三天前’‘那为什么不来问我呢’,然后对方就会这样回答‘那个,我在找时机,有点...’(笑)。这种状况连续出现几次后,不知为何觉得很好玩。在我们看来就是完全搞不懂的行为,当然会被责骂。但是他们肯定在思考着什么。也许不能只凭借“我就是宽松世代嘛”就可以解决。希望理解难以搞懂的对方这种个人情绪是创作的最大动机。”

30歳目前となったゆとり世代の俳優陣が主役を張るようになった今、宮藤自身の周辺にも変化を感じるようになった。

30岁的宽松世代演员作为主演的现在,宫藤的周围也感受到一些变化。

「学校教育では平等を重んじられ、社会に出て急に競争にさらされてきたからだと思うんですが、ものすごい危機感を持っていますよね。求められる役割を理解したら信じられない早さで適応しようとするし、貪欲な意志もハッキリ伝える。『宮藤さんの作品に出たいっす!』とか面と向かって言えちゃうんですよね。阿部さんだっていまだに言ってこないのに…(笑)。怖いものないんだなって、こっちが怖くなるくらい。傷つくことをおそれずにアグレッシブだから、全然ゆとりじゃないなって思いました」

“学校教育重视平等,进入社会突然置于竞争的环境中,就会持有强烈的危机感。如果理解了被吩咐的任务,就想以难以置信的速度去适应,贪婪的斗志也会清楚地传达。也会当面说‘想出演宫藤的作品’。阿部现在还不跟我说…(笑)。感觉他们没有什么害怕,反倒我变得害怕了。不怕受伤,积极主动,感觉完全就不宽松”

身近なサンプルだけに基づく一方的な表現にならないよう、一般社会に暮らす若者を集めての取材も自ら提案した。これまで自らの想像力で勝負してきた宮藤にとっては初の試みだったという。

仅仅基于身边的例子来刻画恐有失偏颇,所以宫藤还提议收集普通社会中年轻人的素材。对于迄今为止凭借想象力一决胜负的宫藤来讲,这是第一次尝试。

ドラマにそのまま生かされた、50人以上の取材

剧中直接运用50多人的取材

「山田太一先生が『ふぞろいの林檎たち』を書く時にしつこく取材したというエピソードがずっと頭にあって、今回はやってみようと。実際に会って話を聞くと、取材って面白いなと思いました。彼らは社会に出る前から“ゆとり世代”と名付けられて、オトナに好き勝手言われてきた事実をどこか冷めた目で客観視しているし、『自分たちのことを“ゆとり”と言われてもピンと来ない』と言う。さらに下の世代に対して言いたいこともある、と。話を聞きながら、僕が若い頃に『最近の若いやつらは』って一括りにされた時の苛立ちや反発心を思い出しました」

“山田太一先生在写作《ふぞろいの林檎たち》时,不厌其烦做了许多的取材。这个情节一直留存在我脑海,这次我也想试一试。实际见面提问后,感觉采访真是好玩。他们这些人在进入社会前就被冠名‘宽松世代’,被大人随意议论也是事实,但是能够冷静客观看待,他们说《即便称我们是‘宽松世代’也不会生气》。另外对下一世代他们也有话要讲。听着他们回答的过程中,我想起年轻的时候被人一概而论说《最近的年轻人啊》时,那种焦灼和抵抗心里”

直接取材した人数は延べ50人以上。気になった人物数人は複数回アポを取って聞き取りを重ねた。そのうちの一人は、会社を辞めて実家の酒蔵を継いだばかりの若者。「親のやり方は嫌ですよ。でもまだ半人前なんで」と他人事のように話していた彼の目は、半年後には社長のそれに変わっていた。

现场采访的人数总计超过50人。我比较在意的几个人就会多次约见取材。其中一人是从公司辞职刚刚回到老家继承酒馆的年轻人。“我很讨厌父母的做法,但是我还是个半吊子。”好像在说着别人的故事的这个年轻人的眼神里,好像在说半年后我就当上社长。

「酒蔵の二代目が、ゆとり世代のクリエイターが集まって造ったという新酒まで持参して来たり。人はこういうふうに変わっていくんだと、すごく感じるものがありました」。

“酒馆的第二代继承人甚至给我们带来宽松世代的生产者生产的新酒。我强烈地感觉到原来人是这么变化的。”

会社を辞めて実家の酒蔵を継ぐ、という設定はドラマにそのまま活かされた。また、コンサルタントだという別の若者は、自らゆとり世代でありながら「タイプ別ゆとり世代対処法」を論じた。取材で得たインプットはそのままリアリティあふれるセリフとなり、1話放送の頃には8話まで書き終えるほど筆も進んだ。「世間の評判に振り回されたくない」という思いもあったという。

从公司辞职继承老家的酒馆,这个设定就直接运用到了电视剧当中。此外,另一位年轻顾问谈的是虽然自己是宽松世代,但是“宽松世代要分类对待的方法”。采访获得的素材直接成为充满现实意味的台词,在播放第一集的时候就感觉可以创作到第8集。“不想被社会的判断所左右”

「一人一人じっくり話を聞いていくと、“個”が明確に見えてきた。すると、彼らがちょっとは怖くなくなりましたね。昔から俺らの周りにもいたやつばっかりじゃんって。最終的には“ゆとりだから”ではなくて、いつの時代にも普遍的なキャラクターを描いていたような気がします。そういうものだと思えたからです」

“一个一个认真的倾听后,可以清晰地看到‘个体’。有点不太害怕他们了。这不是从过去就存在在我们周围的那些人么。我注意到最终描写的不是‘我们就是宽松世代嘛’,而是每个时代都会存在的那些普遍的人物。因为可以这么想”

宮藤官九郎が抱く“危機感”

宫藤官九郎怀有的“危机感”

テーマ設定の出発点は「わからないものを理解したい」というシンプルな興味だった。この興味は突き詰めると、宮藤自身の“危機感”でもあったという。

主题设定的出发点是“想要理解不明白的东西”这个简单的兴趣点。这个兴趣点深究下去,就是宫藤自身的“危机感”。

「何に対しても思考停止になってはいけないと思っている自分がいるんですよね。自分が理解できない相手を『年寄りだから』『若い奴らだから』って遠ざけて、分かり合える相手ばかりと仕事していたら、ライターとして先がない。特に次世代は未来の主役なんだから、バッシングすればするほど自分の未来を狭めるだけだと思っていて。このドラマを書いてから、彼らにむやみに腹が立つこともなくなりましたね。…といっても、いまだにびっくりすることだらけですけどね。シナリオブックの座談会でも役者たちがストレートに演技論を語り合っているでしょ。僕は絶対できないです、恥ずかしくて。でも、そういう彼らを少しは理解できたかなとは思います」

“我自己认为对于任何事都不能停止思考。把自己无法理解的对象以‘因为是老人’‘引文是年轻人’的借口而远离之,只和合得来的人一同共事,作为作家来讲是没有前途的。尤其下一世代是未来的主角,越苛责越只会限制自己的未来。创作了这部电视剧后,我变得不会胡乱地对他们感到生气。…虽说如此,但现在满是吃惊啊。在剧本座谈会上演员们能够直白地互相交流演技。要是我绝对做不到,感到不好意思。但是我稍微能理解他们了”

ドラマの結末では続編を書くこともできる余白も残して筆を置いた。新たなテーマで“社会派ドラマ”を書くとしたら?と尋ねると、しばらく考え込んだ。

在剧尾,搁置下了还可以出续篇的空白。以新的主题创作“社会题材剧本”怎么样?我这么一问,一时间就陷入了思考。

「言いたいことが言えない世の中になっている、というのは気になりますね。俺はこう思う、と単純に言いづらい社会になってきていることが」

“我注意到这个社会无法说出想说的话。我这么认为,社会单纯变成了难以发言的社会”

自らの素直な感覚をそのまま映し出す鏡として、宮藤官九郎が再び“社会派”に挑む時を楽しみにしたい。

作为映照自我真实感受的一面镜子,期待宫藤官九郎再次挑战“社会题材”的时候。

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