三重県

日本列島のほぼ中央、紀伊半島の東部に位置。県土は細長く、中央を流れる櫛田川に沿った中央構造線によって、大きく北側の内帯地域と南側の外帯地域に分けられる。山、渓谷、川、海と、四季折々の自然の美しさに恵まれ、伊勢志摩をはじめ、県土の約3分の1以上が自然公園区域。気候風土も穏やかで、古く大和朝廷時代から開け、伊勢神宮に代表される伝統ある文化、歴史に育まれ、東西日本の結節点として、自然、社会経済的条件を生かし、発展してきた。

译文 
  
三重县基本位于日本列岛的中央,纪伊半岛的东部。全县版图呈细长状,沿流经中央的栉田河,形成了中央构造线,将全县大体分为北侧的内带地区和南侧的外带地区。山川、溪流、山谷、河流、大海,四季自然景观优美,以伊势志摩为代表,全县约三分之一以上为自然公园区域。气候温和,从古代大和朝廷时代开始,孕育了以伊势神宫为代表的传统文化、历史,作为东西日本的联结点,利用其自然、社会经济条件发展而来。
 
注释 
  
1.紀伊半島(きいはんとう):近畿地方の太平洋側に突き出た、日本最大の半島。紀ノ川と櫛田(くしだ)川とを結ぶ中央構造線から南をいう。林業、木材加工業、水産業が盛ん。景勝地が多い。

2.伊勢志摩(いせしま):三重県、志摩半島南東部の市。伊勢海老や鮑(あわび)などの漁業や真珠養殖が盛ん。平成16年(2004)浜島(はまじま)町、大王(だいおう)町、志摩町、阿児(あご)町、磯部(いそべ)町が合併して成立。人口6.2万。

3.育む(はぐくむ):養い育てる。「大自然に―まれる」

4.大和朝廷時代(やまとちょうていじだい):(公元538年-公元667年)大和の奈良盆地を中心とする畿内の首長連合。その起源は邪馬台国の理解によって変わってくるが、遅くとも四世紀には畿内最大の政治勢力としての地位を確立。

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