事実日本語は方言の違いが激しい言語だといわれる。つまり「日本語」とはいうが、世界的に見れば実はそれは非常に多くの小言語の複合体であるのだ。英語、ドイツ語、オランダ語、デンマーク語などをひとまとめにしてゲルマン語などという。日本語はその全体がゲルマン語にも等しいものなのだ。

事实上,日语被称为方言差异极大的一种语言,也就是说,虽然称其为“日语”,但是在别的国家看来实际上是很多小语种的复合体。英语、德语、荷兰语、丹麦语统称为日耳曼语,而日语这个整体可以等同于日耳曼语系。

誰もが皆似たような記憶があるのではないかと思うが、中学に入り英語を習い始めびっくりしたことがある。それは家畜の分類の細かさだった。我々が「牛」というところを英語では、雌牛はcow、雄牛は去勢したものをox、しないものをbull、そして子牛をcalf、というように全然違った言葉で言い分ける。日本語であれば、雄の牛ならば雄+牛で雄牛、雌の牛ならば雌+牛で雌牛という二次的名だけなのに対して、一次的名、すなわち全く異なる言葉で分けているところに驚いたのだ。

相信大家应该都有类似的经历,那就是在中学入学后刚开始学英语时会很吃惊——家畜的分类居然如此之细。日语中的“牛”在英语里有cow(母牛)、ox(阉了的公牛)、bull(未阉割的公牛)、calf(小牛)等完全不同的说法。在日语里,雄性牛无非就是“雄+牛=雄牛”、雌性牛便是“雌+牛=雌牛”,相对于日语中的这些合成词,英语中是靠完全不同的原始词来区分的,这让人十分惊讶。

要するに全く異なるものとして見ているということだ。イギリスその他のヨーロッパで牛を細かく言い分けるのは、イギリス人が昔から牛を飼い、ミルクを飲み、バターをなめ、牛の毛皮をはいで靴として履いたからに他ならない。だから日本語でも牛の飼養の盛んな地方にいくと、このくらいの言い分けは簡単にやってのける。例えば、広島県の辺りで雄牛をコトイといい、雌牛をオナメといい、子牛をベコというのはこれである。つまり生活に関係の深い事柄は詳しく言い分け、そうでないことは大雑把にしか言い分けないのだ。

也就是说,他们将这些牛作为完全不一样的个体去看待。英国以及其他一些欧洲国家之所以将牛的说法分的这么细,原因只有一个,就是他们自古就开始养牛,喝着牛奶,吃着黄油,穿着牛皮做的鞋。其实,日语中也是如此,到了一些养牛比较多的地方的话,你就会发现这点程度的区分不难应付。比如广岛县那一片,人们将公牛称为“コトイ”,母牛为“オナメ”,小牛为“ベコ”。也就是说,那些和生活关系密切的事物会被人们细分,而反之则只是大致区分下。

このように、分類の数によってその国の生活様式、国柄が分かるものとして、日本語では雨の名前が挙げられる。日本語には時雨(しぐれ)、五月雨(さみだれ)、夕立、(みぞれ)・・・など雨の名前が多い。ことに梅雨と五月雨については同じ雨についていう語であるが、五月雨は雨そのものを指し、梅雨は五月雨の降る季節を指す。したがって五月雨は「やんだ」といい梅雨は「あけた」という細かい使い分けをする。

像这样,我们可以从事物分类上了解一个国家的生活模式以及国情,而日语中,这样的情况可以见于“雨的各种叫法”。日语中和“雨”相关的说法很多,比如時雨(しぐれ,即阵雨)、五月雨(さみだれ,即梅雨)、夕立(雷阵雨)、霙(みぞれ,即雨雪交加)等,特别是五月雨和梅雨会有这样的细分——虽然都是指同一种雨,但是前者只指雨本身,梅雨则是指下五月雨的季节。因此五月雨停了叫“やんだ”,而梅雨停了则叫“あけた”。

寺田寅彦によると他国語に訳せない日本語の例として「五月雨」「時雨」のほかに、「花曇」と「稲妻」があるという。風に関しても東風(こち)、野分(のわき)、木枯らし、(なぎ)などがあり、海岸地方に行けばその風向き、強さ、季節によりナライ、イナサなど極めて多くの風名を用いている。

寺田寅彦先生在举例不能翻译成别国语言的日语时,除了提到“五月雨”和“時雨”以外,还提到了“花曇(指樱花盛开季节淡云蔽空的和煦天气)”和“稲妻(闪电)”。而“风”相关的说法则有東風(こち,即东风)、野分(のわき,即从秋末到初冬刮的大风)、木枯らし(秋末冬初刮的寒风)、凪(なぎ,即风平浪静)等,沿海地区的人们还会根据风向、强弱及季节不同将“风”更加细分,比如 “ナライ”“イナサ”等。

【野分】古くは野分と言いました。この野分は明治時代になると木枯しの異名へと変化したようです。【ナライ】昔から寒くなり強風を「ナライの風」とよびます。たとえば千葉県の沿岸では冷たい強風で北西からの風を「ナライ」と呼びますし、四国の沿岸では北の強風を「ナライ」といいますので、その地方での風向きで名前が変わるようです。【イナサ】暖かい南東の風のことをイナサといい、このイナサが吹くと大漁になるという。

とにかく日本では気象に関する語彙が多い。これは日本人が天候の変化の激しいこの国土に住みそれに順応する生活をしてきた結果とみていいだろう。小学校のころ夏休みの宿題の絵日記で天気を書く欄があったのは象徴的である。

总而言之,在日本有许多关于气象的词汇,可以说,这是日本人居住在这天气变化大的土地上并逐渐适应的结果吧。典型的例子就是在小学暑假作业“图画日记”中,有一栏是要将当天天气填上去的。

下期继续通过词汇看日本文化,敬请期待!

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