ワイドショーにおける不倫の描かれ方

综合电视节目中的不伦描绘方式

それにしても、現実の芸能人のゴシップ記事の反応と、ドラマで描かれる不倫を見比べていると、両者の物語構造が真逆であることに改めて驚かされる。

尽管如此,对现实生活中艺人的绯闻报道产生的反应,以及与在电视剧中所描绘的不伦相比,可以发现两者的故事构造是完全相反的,这一点再次让人感到惊讶。

↑↑2016年,Becky与“极度卑劣少女”主唱·川谷绘音的不伦恋闹得沸沸扬扬

週刊誌の不倫報道のほとんどは、“浮気された奥さん”の立場から語られる。そこでは不倫をした夫と夫をかどわかした女性は家庭にトラブルを持ち込む悪役である。

周刊杂志所爆出的不伦报道,大体上都是从“遭遇不伦伤害的太太”的立场上来表述。而做出不伦行为的丈夫以及诱拐丈夫的女性,则被当做是为家庭带来纠纷的坏人角色。

もちろん、それぞれの家族の事情は別々だ。しかし、そこで描かれる不倫劇の多くは奥さんと子どもを被害者とみることが一番の前提にあり、それをひっくり返すことは難しい。そして、奥さんと子どもが可愛そうという善意が反転して、家族を傷付けた不倫の当事者に社会的制裁を加えたいという欲望に火がつけられる。

当然,各家的情况有所不同。但是日剧中所描绘的不伦故事,基本上都是把“将太太和孩子当做被害者”作为首要前提,而将这一点颠倒过来(当做故事主体)是很难的。此外,将“太太和孩子很可怜”这样的善意观点换个说法,可以说不伦剧点燃了人们希望对那些对家庭造成伤害的“不伦当事人”加以社会制裁这样的欲望。

その意味で、近年のワイドショーにおける不倫報道の盛り上がりは、円満に見えた家族が、ボロボロに崩壊していく様をエンターテイメント的に楽しんでいる側面が大きい。そこで攻撃対象とされているのは芸能人や政治家、文化人といったセレブリティであり、火をつけられるのは、彼らを引きずり下ろしたいという大衆の嫉妬心だ。

从这种意义上来说,近年综合电视节目所带来的不伦报道的热闹景象中,人们期待以娱乐的方式看到看似圆满的家庭(因为不伦而)被崩坏得破烂不堪的样子,这一方面(的需求)很大。在这一情况中,被作为攻击对象的是艺人、政治家、文化人等名流人士,而引爆这种现象的正是人们想要把这些名流“拉低”的大众嫉妒心。

非正規雇用の男女が増える中で、ふつうの恋愛や結婚ですらも難しいものとなりつつある。そんな世の中で、不倫ができる男とは、それ相応の社会的地位や経済的成功があるというのが暗黙の前提だ。そんな男と不倫をする女性は、金と社会的地位が目当ての若い女というケースが多く、本人にそんな気がないにしても、そう世間には見えてしまう。

在身为非正规雇佣(员工)的男女逐渐增加的情况下,就连普通的恋爱结婚也在渐渐变难。在这样的社会中,能够发生不伦的男人相应地拥有一定的社会地位以及事业成功,这是一种默认的前提。而与这样的男人不伦的女性中,贪图男性金钱及社会地位的年轻女性的例子居多,就算本人(发生不伦时)并没有那样的想法,但在世人眼里就是会被这么看。

おそらく、不倫そのものに対する風当たり以上に、貧しく無名の時代から支えてきた奥さんを捨てて、若い女に乗り換えようとする男と、そんな出来上がった男を若さと美貌でつまみ食いをしようと目論む女に対する「うまいことやりやがって」という反発と羨望が大きいのではないかと思う。

恐怕应该说,不仅仅是对于不伦这种行为有着社会非难,抛弃从贫穷且无名的时代便开始支持着自己的妻子,换年轻女子(当情人)的男人,以及计划着用自己的年轻貌美来“拿下”这种男人的女人,对于这类男女产生“尽干这种好事”的反对与羡慕的声音也很大吧。

繰り返しになるが、安定した経済力と社会的地位がなければ不倫はおろか、恋愛や結婚ですら今の日本では簡単ではないのだ。だから不倫は、結婚できた人間のみが味わえる最高の贅沢だと言える。もちろん、それはあくまで記事になった時に浮かび上がる客観的な現実であり、当事者には、簡単に語ることができないそれぞれの事情があるのだろう。

再强调一次,如果没有稳定的经济力和社会地位就不会产生不伦,更何况恋爱和结婚这种事在当今的日本也并不简单。所以可以说,不伦其实应该是结了婚的人才能够享受的最高级的奢侈。当然,这仅仅是引发报道后所想到的客观现实,对当事人而言,这是无法简单言说的事,毕竟各有各的情况吧。

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