一 此（こ）の不思議なことのあつたのは五月中旬（なかば）、私が八歳（やっつ）の時、紙谷町（かみやまち）に住んだ向うの平家（ひらや）の、お辻（つじ）といふ、十八の娘、やもめの母親と二人ぐら...

「しゃッ、しゃッ、しゃあっ！……」 寄席のいらっしゃいのように聞こえるが、これは、いざいざ、いでや、というほどの勢いの掛声と思えば可（い）い。「しゃあっ！ 八貫―ウん、八貫、八貫、八貫と十（と）ウ...

一「お爺（じい）さん、お爺さん。」「はあ、私（わし）けえ。」 と、一言（ひとこと）で直（す）ぐ応じたのも、四辺（あたり）が静かで他（た）には誰もいなかった所為（せい）であろう。そうでないと...

序 越中の国立山（たてやま）なる、石滝（いわたき）の奥深く、黒百合となんいうものありと、語るもおどろおどろしや。姫百合、白百合こそなつかしけれ、鬼と呼ぶさえ、分けてこの凄（すさま）じきを、...

上 何心（なにごころ）なく、背戸（せど）の小橋（こばし）を、向こうの蘆（あし）へ渡りかけて、思わず足を留（と）めた。 不図（ふと）、鳥の鳴（なく）音（ね）がする。……いかにも優しい、しおら...

雨（あめ）の日（ひ）のつれ／″＼に、佛（ほとけ）、教（をし）へてのたまはく、昔（むかし）某（それ）の國（くに）に一婦（いつぷ）ありて女（ぢよ）を生（う）めり。此（こ）の婦（をんな）恰（あたか）...

引越しをするごとに、「雀（すずめ）はどうしたろう。」もう八十幾（いく）つで、耳が遠かった。――その耳を熟（じっ）と澄ますようにして、目をうっとりと空を視（なが）めて、火桶（ひおけ）にちょこんと...

上 実は好奇心のゆえに、しかれども予は予が画師（えし）たるを利器として、ともかくも口実を設けつつ、予と兄弟もただならざる医学士高峰をしいて、某（それ）の日東京府下の一（ある）病院において、...

一 片側は空も曇って、今にも一村雨（ひとむらさめ）来そうに見える、日中（ひなか）も薄暗い森続きに、畝（うね）り畝り遥々（はるばる）と黒い柵を繞（めぐ）らした火薬庫の裏通（うらどおり）、寂し...

湯島の境内 （婦系図―戯曲―一齣）□冴（さ）返る春の寒さに降る雨も、暮れていつしか雪となり、仮声使（こわいろつかい）、両名、登場。□上野の鐘の音（ね）も氷る細き流れの幾曲（いくまが...