どんなことでもそうですが、「ほかの人がわからないことがわかってしまう」というのは悲劇ですよね。陳腐な意味で「この映画を理解できるのは俺様だけだ!」といっている人もいますが、そういうことではなくて、何かを理解するキャパが大きいということは、それだけ自分が理解されないこともわかっているということです。「象」という生き物を知らない人に、説明することは可能でしょう。「鼻が長くて、耳が大きくて、人間を10人乗せてもおつりが来るくらい大きな生き物で、くすんだ灰色で、目が優しくて、牙が生えていて・・」など。でも多分どんなに説明しても、説明されたあいては「象」という生き物を完全に理解することは出来ないし、そしてそれを説明しているほうも、「わかりっこない」ということもわかっている。

不管在什么情况下,“理解了别人无法理解的东西”都可以说是个杯具吧。用这话举个老套点的例子就是,有人说“只有哥看懂了这电影”,不过这里并非此意,而是,对某些事物理解能力越强,同时也就代表了自己多么的不被一般人所理解。我们可以跟不知道“大象”为何物的人这样去介绍大象,“鼻子长长的,耳朵大大的,体积庞大到身上坐十个人还绰绰有余的一种生物,肤色是暗淡的灰色,眼神温柔,长着牙齿……”。但是不管你如何去说明,对方都不一定能完全理解,而介绍的这一方心里也清楚这一点。

でも通訳はお仕事だから、それを何とか取りまとめなきゃならないわけです。しかも双方向で!!

不过既然你靠翻译吃饭,就需要想办法把事情给解决了,并且两方面都要顾及!!

日本人には日本人にわかるような説明を、イタリア人にはイタリア人にわかるような説明をしなきゃならない、しかもどちらにも失礼がないように、そして出来れば商談がうまくとりまとまるように。しかも、アドリブで。

面向日本人就要用日本人能理解的表达方式,面对意大利人则要用意大利人能理解的表达方式,而且对双方都不能失礼,然后尽量使谈判顺利进行,还要会随机应变。

そしてそのとんでもなくめんどくさい努力をして説明したり、理解させたりしているということを、たいていの場合、日本人・イタリア人のどちらも、わかってくれない。

然而,花如此大的功夫去向日本人亦或是意大利人翻译解说,帮助他们理解,大部分时候换来的却不是认同。

象の例を続ければ、よしんば、その説明に成功したとしましょう。というか、成功させないことには仕事になりません。でもその成功した時点で、それをわからせてもらった人たちは、「なんだ、簡単なことじゃん。」と思っちゃうわけよ・・仕方ないんだけど。

继续之前大象的例子,假设解说成功了。退一步说,不使其成功就算不上是工作了。但是在成功的那一刻,听懂的那一方会觉得:“什么嘛,解说这事儿不是挺简单的嘛。”……这也是没办法的。

わたくしはこれを勝手に「神の孤独」と呼んでおります。

恕我擅自将这种情况称之为“神的孤独”。

全知全能の神様は、全知全能であるがゆえに、誰にも理解してもらえない。そして、誰にも理解してもらえないことを知っているから、神様は最も孤独です。

万能的神灵正是因为无所不知无所不能,才会不为任何人所理解,也正是因为只有他知道那些常人无法明白的事情,才孤独至极。

通訳は、まあそれほど大げさじゃないにしろ、すくなくても通訳として雇われる、ということはそこにいるほかの人たちはお互いを理解しないという状況で、ただひとりすべてを理解してしまい、であるがゆえにとても孤独なのですわ!!

翻译虽然不至于如此夸张,但至少身为被雇佣的翻译,确实是处在那样一种孤独的状态下,即在场的其他人无法做到相互理解,只有译者一个人理解了全部。

あらなんだかやたら悲劇的な話になってまいりましたが、まあそういうことです。 ま、そんなの通訳に限ったことじゃないかもしれませんが。だって、通訳のよしあしって、ものすごくむずかしいじゃん。だって、日本語をイタリア語に訳して、それがどれほど上等な訳でも、どれほどへたな訳でも、日本人にはわからないわけだから。

哎呀话题好像变得越发悲惨了,不过确实就是这么回事,尽管不是只有翻译才会遇到这样的情况。不过,翻译的好坏,判断起来不是很难嘛。因为在做日译意的时候,不管你翻得多好,亦或是多烂,日本人这方是不会明白的。

わたくしのお客様は大体イタリア人なのですが、そしてわたくしはイタリア語の能力はとりあえずおいといたとしても、日本語をしゃべる能力にはかなり自信があるのですが、この日本語能力は、雇い主であるイタリア人には永遠に評価されることはないわけです。

我的客户大多是意大利人,姑且不论我的意语水平,起码我对自己的日语口语水平是相当自信的,只是这种日语能力永远都得不到意大利雇主的评价。

ま、そうはいっても望んだ職業です。実際は、わたくしには天職だと思いますよ。何しろ小さい頃の夢(いや今でも)、「枕を交わさない花魁」だったし。

不过嘛,别看我这么说,其实翻译也是我梦寐以求的职业,是我的天职啊。而我小时候就幻想(如今也是)能成为“不卖身的雅妓”。

えー、こういっちゃなんですが、知力と容姿と外交能力を駆使してその場を仕切る、という職業を「花魁(枕は交わしません。)」だとすると、通訳はかなり近いでしょ。

哎哟,这么说虽然有点那啥,如果说“雅妓(卖身不卖艺)”是靠智慧、美貌以及交际能力hold住全场的话,那翻译便很接近这职业哦。

だからまあ、満足なんです。楽しいこともたくさんあるし。

所以呢,我也心满意足了,而且开心的事情也会有不少。

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