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日本のブタ、中国のブタ~肥満、豊満、ふくよか…言葉は価値観の違い・変化を表す

日本的猪、中国的猪~肥胖、丰满、富态……语言体现价值观的差异及变化

認知意味論の本を読んでいたら、概略こんなくだりに出会った。

我在读认知语义学的书时,在概要中邂逅了这样一段话。

太った人に言う台詞として、「おまえ、太ったなあ。」というよりも、「おまえ、ブタになったなあ。」というほうがインパクトが強く、相手の機嫌をそこねる。また、同じような意味を表す言い回しでも、「猫に小判だね」と言われるよりも、「ブタに真珠だね」と言われたのほうが強い怒りを覚える人が多いのではないか。(『認知意味論のしくみ』(籾山洋介著、研究社)154ページ)どうもブタのイメージはよくない。中国でもそうだ。

作为对发胖了的人说的话,比起“你这家伙胖了嘛。”这样的描述,“你这家伙变成猪了啊。”给人印象更加深刻,也更能伤到对方。而即使是意思相同的评价,相较于“猫に小判だね”,“ブタに真珠だね”(均为对牛弹琴之意)更能让听者愤怒,不是么?(『认知语义学结构』——籾山洋介著、研究社,154页)似乎猪给人留下的印象并不好,在中国也是如此。

そもそも人間が動物になるというのは中国でも好ましからざることだが、その中でもライオンや馬ではなく、「私はブタです」というのは特別だ。この台詞を言うことが、トランプの罰ゲームに使われている。ブタの地位がわかろうというもの。トランプで負けた人の罰ゲームとして、こんなのがある。キャンパスの華といわれる女の子に電話をかけさせられて、告白調でいうのだ。「あなたに告げたい3文字があります。」
 
说起来,在中国,人们也不太喜欢将人说成是动物,而其中特别具代表性的不是狮子也不是马,而是“我是猪”。在扑克游戏的惩罚环节,这句台词经常能派上用场。我想大家应该就能理解猪的地位了。在扑克游戏中如果有人输了,便要接受这样的惩罚——打电话给校花说:“我想跟你说三个字。”并且语气听起来要像是在表白。

こう中国語で言うと、「3文字」とは“我爱你”(ウオーアイニー、私はあなたを愛しています)のことだ。相手は、すわ愛の告白を受けるのかと身構えると、“我是猪。”(ウオーシージュー、私はブタです)なる台詞が続くというものだ。

中文里有人要是这么说的话,想必就是“我爱你”这三个字,当对方准备好架势来接受这爱的告白时,电话那头传来的却是“我是猪”。

ただ、日本では「猪年」と言うところ、中国では「ブタ年」と言う。ブタ年がそれほどいやだという意識はない。それどころか、ブタ年には子供が沢山生まれた。ブタは一生食べ物に困らない、幸せな人生を送ると思われているためだ。確かに、いつもモノを食べ、丸々と太っている姿は考えようによっては「幸せ」である。

不过,日本的“猪(イノシシ)年”在中国则变成了“ブタ年”,而猪年也不是那么招人讨厌,甚至有很多小孩都在这年出生,原因是大家认为猪一辈子都不愁吃喝,过的十分幸福。确实,猪总是在吃东西,身子浑圆,某种意义上来说确实可以称得上“幸福”。

そもそも太っていることは悪いことではない。中国で人から「痩せましたね」と言われるとあまり嬉しくない。どこか悪いんですかとか、体調は大丈夫ですかと言われているようなふしがある。決して褒め言葉ではないのだ。

话说回来“胖”并不是一件坏事。不过在中国人看来,被人说“瘦了”却不那么让人高兴,有种被询问哪哪儿不舒服,身体要不要紧的感觉,这可不是什么夸人的话。

今でもアフリカのいくつかの国では「太っている」ことが美しい女性の条件になっているという。先日、テレビをみていたら、アフリカ西部のモーリタニアでの習慣を紹介していた。そこでは女性は太っていることが美しいとされているという。
  
据说,即使是现在,非洲一些国家还是以“胖”作为衡量美女的标准。前些日子,电视节目介绍了西非国家毛里塔尼亚的一些习惯,当地女性也是以胖为美。

モーリタニアでは10代前半の少女たちに対して、伝統的にこのような強制肥満化が行われている。砂糖で甘くしたラクダ乳や雑穀の粥を少女に無理やり食べさせる。彼の地ではふくよかな女性ほど美しいとされ,肥満は美の原則なのだ。

在毛里塔尼亚有一个传统,那就是对15岁前的少女进行强制增肥,逼迫她们吃加了砂糖的甜骆驼奶及杂粮粥。因为在那片土地上,女性越是丰满才代表越美,是否肥胖是衡量美的标准。

確かに、生活条件が厳しい砂漠で暮らしながら、ふくよかな体をしていることは、豊かさの証といってよいだろう。
 
确实,即使生活在条件艰苦的沙漠却依然拥有丰满的身姿,可是说是富裕的一种象征吧。

中国でも「太っている」人を直接“胖”(パン、太っている)などとは言わない。“富態”とか“豊満”という婉曲な褒め言葉がある。日本語にすれば「ふくよか」に当たる。だが、これすら今や奥様や夫人向けに言ってもよろこばれない。若い人はもはや「ダイエット」のほうに興味がある。こちらは“苗条”という言葉が用意されている。「スマート」だ。

而在中国, 不会对发福的人直接用“胖”这个词,而是委婉赞美其“富态”、“丰满”,在日语中相当于“ふくよか”一词。只是,即便是将这些词用在太太或者夫人身上,她们也不会多高兴。年轻人则是对“减肥”更有兴趣。这种时候我们准备了“苗条”这个词,相当于日语中的“スマート”。

中国のファッション雑誌などを見ても、美の標準は日本と変わらない。それに合わせ、言葉の持つ本来の意味や含意も少しずつ変化しているようだ。

翻看中国的时尚杂志,你会发现美的标准和日本没多大区别。而与此同时,语言本身的意义和含义似乎也在悄然地发生着变化。

(執筆者:相原茂 編集担当:水野陽子)  

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