ヒント: 橋本    大平    大蔵    普天間基地    小渕    小泉   


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橋本氏はサラリーマン生活のあと、急死した父の代わりに1963年の衆議院選に出馬。当時としては最年少の26歳で初当選しました。78年に大平内閣の厚生大臣として41歳で初入閣して以来、大蔵大臣や自民党幹事長などを歴任。96年には内閣総理大臣に就任しました。 橋本氏は中央省庁を現行の1府12省庁にする省庁再編を実現するなど行政改革や金融の規制緩和に取り組みました。また外交面ではアメリカとの間で、在日アメリカ軍普天間基地の返還の合意を交わすなどの実績を残しました。 98年の参院選挙で大敗を喫し退陣。2000年に小渕元総理の死去に伴って派閥の会長に就任したあと、翌年には再登板を目指し自民党総裁選に出馬しましたが、小泉総理に敗れました。さらに2004年には橋本派が日本歯科医師連盟から1億円の不正献金を受け取っていた事実を認めて派閥の会長を辞め、去年の総選挙を機に政界を引退しました。
桥本氏结束工薪族的生活后,代替突然去世的父亲于1963年出马参加众议院竞选。当时以最小年龄26岁首次获得当选。在78年41岁的桥本作为大平内阁的厚生大臣第一次进入内阁以来,历任了大藏大臣及自民党干事长等职。96年就任内阁总理大臣。 桥本氏致力于实现中央省厅再编为现行的1府12省厅等的行政改革及金融的规制缓和。此外,在外交方面,在日美军普天间基地的归还上与美国也达成了一致。 在98年的参议院选举上惨败下台。2000年伴随着小渕前首相的去世,就任派系会长后,第二年再次出发出马参加自民党总裁选举,但是败给了小泉首相。接下来在2004年桥本派承认非法收取日本齿科医师联盟的1亿日元,辞去了派系的会长之职,借去年的总选举为由隐退政界。 翻译来自HjID:qingxi2009