先日、神奈川県にある箱根神社に参拝してきました。来月から始める仕事の成功祈願が目的です。いわゆるご利益でいうと「商売繁盛」や「事業繁栄」にあたると思います。しかし、私は参拝や祈願といっても、「神様、どうか叶えてください。お願いします」とは言いません。ただ「自分はこういうことをするつもりです」と宣言しに行きます。

前几天,我到神奈川县参拜了箱根神社。目的是祈祷下个月开始的工作能够顺利展开,也就相当于俗话说的“财源广进”、“生意兴隆”。不过,虽是去参拜祈愿,但我不会说“神明大人,拜托了,请实现我的愿望”,而是去起誓自己将如何行动。

自分の考えを言葉にするのは、とても大切な過程です。頭の中でなんとなく考えているだけでは、せっかく思いついたアイディアもすぐに忘れてしまいます。ですから自己啓発では「自分の願望や目標は紙に書け」というアドバイスが何十年も繰り返されています。つまり神社参拝と目標設定は同じもの、ということです。

将自己的想法化作语言是一个很重要的过程。一味地在脑海中模糊思索,只会令难得的灵感转眼间被忘得一干二净。所以几十年来我一直在贯彻从自我启蒙中学来的建议——将自己的愿望或目标写在纸上。也就是说,参拜神社和设定目标是一样的。

「それならわざわざ神社なんて行かないで、自分の家で目標を決めればいいのでは」と思うかもしれません。しかし神社には神社ならではのプラスアルファがあります。それは歴史です。箱根神社のような観光地にもなっている大きな神社は特にそうです。

看到这里可能有人会想:既然这样那何必特意跑去神社,直接在家里设定目标不就好了?然而与家不同的是,神社有着其特殊的“附加价值”。那便是它的历史。特别是像箱根神社那样成了观光地的大神社。

◆武将から経営者まで信仰を集める箱根神社

◆从武将到商人均有其信奉者的箱根神社

箱根神社は「関東総鎮守」として崇められてきた名社です。古くは征夷大将軍に任ぜられた坂上田村麻呂が、東北制圧に向かう前に戦勝祈願として矢を奉納しています。また源頼朝、徳川家康など多くの武将たちが信仰し、昭和以降は実業家や経営者に崇敬されるようになりました。西武グループの創始者、堤康次郎が熱心に信仰していたのは有名な話です。「箱根を背にするもの天下を制する」なんて言葉まであります。

箱根神社十分有名,素有“关东总镇守”之尊称。古时,征夷大将军坂上田村麻呂在出发镇压东北前曾在此献奉弓箭以祈祷战争胜利。此外还有源赖朝、德川家康等众多武将也是神社的信奉者。进入昭和年代以后,越来越多的实业家和经营者开始崇敬箱根神社,西武集团的创始人堤康次郎,便是众所周知的其中一名信奉者。甚至有“背靠箱根者得天下”这么一种说法。

彼らがなぜ箱根神社を信仰するのか。実際に足を運んでみると、それがよくわかります。箱根神社の元宮のある標高1356mの駒ケ岳山頂は、足元には芦ノ湖、北西には富士山、東は遠く房総半島まで関東全体を一望できます。そうした絶景を前にすると、自然と特別な想いが湧き上がってきます。

他们为什么会信奉箱根神社?只要实地走一趟就能明白。箱根神社元宫处于海拔1356m的驹之岳山顶,山脚有芦之湖,西北方是富士山,向东望去能连房总半岛一同将关东地区尽收眼底。这样的绝景摆在面前,让人不禁涌起一股特殊情怀。

「これまで参拝してきた多くの武将、実業家が同じ風景を見てきたのだ。彼らもいま自分が見ている風景を見て、同じ想いを抱いたに違いない。だから自分も頑張ろう」という想いが強くこみ上げてきます。その風景と歴史に力を借りたモチベーションこそ、ただ自分の家で目標設定しただけで済ませてしまうのとの違いです。

它能令人坚定决心:“来此参拜的众多武将和商人都看过这同一片风景。他们当时的心境一定和现在的我一样。我也要加把劲了。”也就是说,从景色和历史中获得的激励,正是参拜神社与单纯在家设定目标的区别。

数年前、女性の間で神社がパワースポットとして流行りました。恋愛にご利益があるとされる神社に多くの人が詰めかけ、それに対して「神社についてよく知りもせず、パワースポットとして参拝するなんて軽薄だ」という辛口な指摘もありました。しかし「特別な風景を前にすると、特別な感情が湧き上がってくる」という体験を実際にすると、実はその方が正しいのではないかと思えてきます。つまり神様がいるからパワースポットなのではなく、パワースポットだからそこに神様がいると考えるようになった、ということです。

几年前,神社以一种能量聚集地流行于女性之间,一些据说在恋爱方面颇为灵验的神社会有人群蜂拥而至。面对这一现象,有人辛辣地批判道:“不去了解神社,把它当成能量聚集地来参拜实在是太不敬了!”可是,当体验过“特别的风景、特殊的情怀”之后,我开始觉得其实这才是正确的。也就是说,并非有神明的地方才是能量聚集地。恰恰相反,正因为它是能量聚集地,神明才会存在。

日本人は古来から自然に神が宿ると考えてきました。山、川、滝、石、その対象が圧倒的であるほど、私たちは強く心を震わせられます。そこに事業繁栄、良縁祈願、芸能上達といった名目があれば、私たちは自分の人生について、普段の常識に縛られずに大きなスケールで物事を考えられるようになります。私も普段は粛々と仕事を進めるタイプですが、箱根神社や伊勢神宮に参拝すると「世の中を変えるために、世のため人のために頑張ります」と自分の殻を破った思考になることができます。そんな時に思いつくアイディアは、毎回決まって仕事や人生の要になります。

日本人自古认为神明身居于大自然。山川、河流、瀑布、岩石,自然对象越是庞大,我们便越为此震撼。有了祈求生意兴隆、天赐良缘、技艺进步这些名头,我们就能脱离常识的束缚,从更宏观的角度去思考自己的人生。我平常是那种默默工作的人,但在箱根神社或者伊势神宫参拜时,就会产生那种“我要为了世人、为了改变世界而努力”的破格想法。那时候迸发出来的灵感往往都会成为我工作或人生的关键。

◆特別な空間に行ってみる意味

◆尝试前往特殊地点的意义

これだけ科学が進み、物事を合理的に考える時代です。「お願いをすれば神様が叶えてくれる」と信じるのは困難です。私もそんな風には信じていません。しかし、人生に目標設定が必要なのは、誰もが認めるところでしょう。一定の指針がなければ、私たちはたちまち日常に流されてしまいます。問題はその目標設定をどこで行うかです。淡々と家で行うだけでは、目標設定そのものにプライオリティを感じられません。

如今科技如此进步,人们的思考更加趋于理性。要令人相信“只要向神明祈祷就能实现愿望”是一件困难的事情。我自己也不相信。然而,人生需要目标,这一点相信没有人会反对。没有一定的行动指针,我们很快就会变得随波逐流。但问题是应该在哪里设定目标。如果只在家里默默完成,那目标就似乎缺乏了一些紧张感。

ですから何も神社にこだわる必要はありません。仏教徒はお寺で生きるヒントを見つけ、キリスト教徒は教会で生きるヒントを見つけるべきです。神様が本当にいるのか、私にはわかりません。しかし、神様がいるとされる場所で人生について真剣に考えれば、他ならぬ自分の思考や感情に答えが見つかります。まさに「天は自ら助くる者を助く」「人事を尽くして天命を待つ」です。

尽管如此,我们也没必要拘泥于神社。佛教徒可以在寺庙、基督教徒则可以在教会找到人生提示。神明到底是否存在,我们无从知晓。但是,在这样的灵地中认真思考人生,定能理清思绪,找到自己最真实的情感。这正是“天助自助者”、“尽人事听天命”。

もし何か大きなことを成し遂げたいと思いつつくすぶっているのなら、神社でもお寺でも教会でもかまいません、特別な空間に足を運んでみて下さい。そこで自分の願望や目標について想いを馳せましょう。人間が理屈ではなく、感情から動き出すものだ実感できるはずです。

如果你想要达成一件大事却不敢迈步,那么神社也好、寺庙也好、教会也好,请尝试前往一个特别的空间,并在那里尽情畅想你的愿望和目的吧。这样你就能切实地体会到,驱动人类前进的,并不是道理,而是感情。

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