別府大(大分県別府市)の卒業式が20日開かれ、大分市片島の工務店「日本ハウジング」会長、馬場駿二さん(82)に大学院の修士号が授与された。82歳の卒業生は学部、大学院通じて同大では最高齢となる。馬場さんは「知識を得ることは何歳になっても楽しい。私にもできたのだから、定年を迎えた人も勉強に挑戦する楽しみを見つけてほしい」と話した。

3月20日,别府大学(大分县别府市)举行毕业典礼,大分市片岛建筑公司“日本住宅”会长马场骏二(82岁)获得了大学硕士学位。82岁毕业生是大学本科、研究生中年纪最大的。马场说:“无论多大年纪,学习知识都是有趣的。既然我做到了,希望快退休的人们也找到学习的乐趣。”

大分市生まれの馬場さんは、太平洋戦争が激しくなった5歳の時、竹田市に疎開した。そこで父親の注文家具製造業が不調になり、生活のため中卒で家業を継いだ。30歳で現在の会社を発足させ、大分市へ進出した。

马场出生于大分市,五岁时太平场战争愈演愈烈,于是撤离到竹田市。当时父亲的定制家具制造业陷入低迷,于是为了生活辍学继承家业。30岁时创办了现在的公司,进入大分市市场。

会社経営が波に乗ると、少年時代の学業へのあこがれが再燃して通信制高校を42歳で卒業。「頭脳が老化する70歳までに大学を卒業したい」と逆算して64歳で別府大へ入学し、社長をしながら68歳で卒業した。その後、会社経営が忙しくなり、学業は中断したが、78歳で大学院へ入学。文化財学を専攻して今回の文学修士号獲得につながった。

公司经营顺利,于是重燃少年时期对学业的向往,42岁从函授高中毕业。想着“大脑会退化,想要在70岁前从大学毕业”倒推一下,于是在64岁进入别府大学,在担任社长的同时于68岁大学毕业。随后忙于经营公司,中断了学业,但78岁进入研究生院,主修文物专业,获得文学硕士学位。

修士論文の題は「農業用水路からみた地域開発の歩みと未来 旧岡藩領を中心に」。竹田市で家具の仕事を始めた頃、県道のトンネルからトンネルへ延々と続いた幅1メートルほどの水路の光景が印象に残っており、苦労して水路を延ばした郷土の先人の足跡を追いかけた。

硕士论文的题目为《从农业水渠着眼区域开发步伐与未来 以旧冈藩为中心》。在竹田市发展家具事业时,从县公路隧道延伸到隧道宽1米左右的水渠给我留下了深刻的印象,想要追寻努力延伸水渠的故乡前辈的足迹。

旧岡藩時代の水路と水田開発に始まり、明治以降の水路を利用した発電所建設を経て、戦後の農村の機械化に至るまでの竹田市周辺の農業の変遷をまとめた。農家の高齢化に直面する今、「村落共同体の未来は農業を希望する若者を呼び込めるかどうかが鍵になる」と結論づけた。

从旧冈藩时期开始发展水渠和水田开发,明治后利用水渠建设发电厂,再到战后农村机械化,论文总结了竹田市周边的农业变迁。如今面对农民老龄化问题,得出结论“村落共同体的未来或许关键在于吸引想要从事农业的年轻人”。

卒業式に臨んだ馬場さんは「修士論文の執筆は面倒で、地獄の苦しみだと感じた日もあったが、いい経験になった。とうとう卒業したと思うと、うれしさがじわじわとわいてくる」と話した。

出席毕业典礼的马场说:“写研究生论文很麻烦,有几天简直像活在地狱,但这是很好的经历。终于毕业了,很高兴。”

飯沼賢司学長は馬場さんに特別表彰状も手渡し、「生涯にわたり勉学を続ける姿勢は学生の手本になる。たくさんの後続者の出現を期待したい」と述べた。

饭沼贤司校长为马场颁发了特别表彰证书,并表示“终身学习的态度是学生的缸样,希望未来有更多这样的人”。

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