卑弥呼は誰だったか

魏志倭人伝に書かれている卑弥呼が、古事記や日本書紀に書かれている人物の、誰にあてはまるのか、いまだに解明されていません。この議論は江戸時代からされているのです。

卑弥呼是谁?

《魏书・倭人传》所记载的卑弥呼到底和《古事记》、《日本书纪》所记的哪一位吻合呢?直到现在都还是个谜。这个讨论从江户时代就拉开帷幕了。

卑弥呼

神功皇后説

江戸時代までは、卑弥呼=神功皇后だと考えられていました。日本書紀に書かれている『神功皇后紀』では、魏志倭人伝の卑弥呼に関する記述を引用しているからです。もしこの説が本当であれば、邪馬台国はヤマト王権があった畿内に存在したということになります。

神功皇后说

直到江户时代,人们都认为卑弥呼就是神功皇后。这是因为《日本书纪》里所写的《神功皇后纪》中引用了《魏志・倭人传》有关卑弥呼的记录。如果这种说法是正确的话,那么邪马台国就是在大和王权的所在地畿内了。

(据学者那珂通世的纪年考证,卑弥呼与神功皇后的时代相差了一百多年,不可能是同一个人)

熊襲の女酋説

古事記の解読を行った江戸時代の国学者である、本居宣長らの説です。卑弥呼は、熊襲が勝手に朝廷を名乗っていたものではないかと考えました。宣長は、日本は本来独立を保った国という考えを持っていて、魏志倭人伝にある、卑弥呼が魏へ朝貢して、倭王に封じられたとする記述は、彼にとって受け入れられないものでした。宣長は、邪馬台国が九州にあったとして、熊襲の女酋が神功皇后の名前を語り、魏と通交したのではないかという考えです。

熊袭女酋说

这个说法来自江户时代解读《古事记》的国学者本居宣长等人。这种说法认为,“卑弥呼”其实是熊袭女酋擅自向中国朝廷伪报的称呼。宣长出于日本原本是一个独立国家这一层考虑,《魏书・倭人传》中,卑弥呼向魏国朝贡而被封为“亲魏倭王”的记录让他难以接受。宣长认为邪马台国是在九州,熊袭的女酋自称神功皇后之名与魏国交往。

(熊袭:居住在九州中南部的一个种族,《古事记》中有日本武尊、仲哀天皇讨伐熊袭族人的记载,有人认为熊袭人和隼人同种族)

倭姫命説

垂仁天皇の皇女、倭姫命(やまとひめのみこと)が、卑弥呼ではないかとする説です。

倭姫命说

这个说法认为卑弥呼是垂仁天皇的皇女倭姫命。

夜麻登登母母曾毘賣命説

夜麻登登母母曾毘賣命は、近年になって、卑弥呼と同一人物である有力な候補に挙がっています。崇神天皇に神意を伝える巫女の役目をしていて、魏志倭人伝にある、『男弟有り、佐(助)けて国を治む』と言う、卑弥呼の男弟の関係に一致しています。

夜麻登登母母曾毘卖命说

近年来,夜麻登登母母曾毘卖命作为与卑弥呼是同一人的有力候补被提出来。她担任向崇神天皇传达神意的职务,与《魏书・倭人传》中所载“有男弟佐治国”的卑弥呼男弟的关系一致。

《魏书・倭人传》中对卑弥呼的记载

天照大神説

日本には卑弥呼に関する史料が残っていないのに、中国には残っているほどの人物であれば、日本では特別な存在だったであろうとして、日本の史書でこれにあてはまるのは、天照大神しかいないとする説です。アマテラスの別名は、オオヒルメノムチであり、ヒルメの『ル』は、古語で言うと『ノ』になり、ヒノメ、すなわち『日の女』となります。これは、太陽に使える巫女を表し、卑弥呼と符合するという説です。卑弥呼が没したとき、皆既日食が見られたと言われていますが、これは天照大神が天岩戸に隠れたという神話に相当すると言われています。また更なる共通点として、卑弥呼がいきていたとされる時代と、天照大神が生きていたとされる時代が重なり、卑弥呼には託宣を伝える弟がおり、天照大神にもスサノオという弟がいます。

天照大神说

此说认为:日本没有留下和卑弥呼相关的史料,而中国却留存了这些史料,若是这样的人物,在日本也许就是个特别的存在,因而日本的史书中与之吻合的就只有天照大神了。“アマテラス(天照)”的别名是“オオヒルメノムチ”,“ヒルメ”的“ル”在古文中作“ノ(の)”,“ヒノメ”也即是“日之女”了,表示侍奉太阳的巫女,与卑弥呼是符合的。相传卑弥呼死时曾出现过日全食,这与天照大神隐藏在天岩户的神话相吻合。另外还有更进一步的相同点,卑弥呼生活的时代与天照大神生活的时代重合,卑弥呼有一个传达神谕的弟弟,而天照大神也有一个叫作“须佐(素戋鸣尊)”的弟弟。

因弟弟须佐大闹高天原,天照大神躲入天岩户,天宇受卖命翩翩起舞将她吸引了出来

卑弥呼=卑弥呼

これは、卑弥呼は日本書紀や古事記の中に人物にあてはめるのではなく、卑弥呼は卑弥呼でしかないとする説です。どの説を見ても、部分的な符合はあり、魏志倭人伝のような実録が元となっている者に、後世にかかれた記紀を結びつけることは、学問的には正しくないとする説です。

卑弥呼=卑弥呼

此说认为,卑弥呼并不符合《日本书纪》与《古事记》中的某一人物,卑弥呼就只是卑弥呼。不管看哪种说法都只是部分性的吻合,将《魏书・倭人传》这样的以事实记录为本的史料同写于后世的“记纪”联系起来本身在学术上就是不正确的。

(记纪:《古事记》与《日本书纪》)

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