●切腹の作法とは

切腹的礼法

“伊勢貞丈の「凶礼式」、山岡敏明の「切腹考」、工藤行広の「自刃録」、「切腹口決」、星野葛山らの「武学拾粋」など、いわゆるハウツー本が江戸中期には盛んに刊行された。
切腹の作法を知っていることが、武士の教養として求められたのである。”

“天保十一年に上州沼田藩士・工藤行広が表した『自刃禄』の頃になると、かなり具体的な内容になっている。
『切腹の作法は、其座に直り候と、検視へ黙礼し、右より肌を脱、左へと脱終り、左手にて刀を取、右手に持替、左手にて三度腹を押撫、臍の上一寸計を上通りに、左へ突立、右へ引廻す也。或は臍の下通りが宜しと云う。深さ三分か五分に過ぐからず、夫より深きは、廻り難きものなりと云』”

“伊势贞丈的《凶礼式》、山冈敏明的《切腹考》、工藤行广的《自刃目録》与《切腹口诀》、星野葛山等人的《武学拾粋》等作为切腹的入门书在江户中期大肆出版发行。了解切腹的礼法被当成武士的素养,因此这些书为人所需。”

“天保十一年,上州沼田藩士・工藤行广将《自刃禄 》公之于世的时候,切腹礼法成为了相当具体的内容。
‘切腹的礼法如下:就坐后,向检视官默默行礼,从右到左脱去衣服,露出上半身。左手取刀,换右手持刀。左手抚按三次腹部,从下到上,刺到肚脐上方的一寸处,向左边刺划,再拉向右边。或者向肚脐之下方刺也可以。深度不可超过三五分,否则很难往回拉。’ ”

——切腹する者の体を水で洗い清める

——用水清洗切腹者的身体

——髪を通常よりも高く結い、逆に曲げる

——发髻比平常绑得更高,反向挽起

——白衣の装束を斬る

——穿白衣切腹

“通常、切腹の座には白木綿五幅とあわせ風呂敷を敷いた。身分の高い切腹人の場合は、畳三畳のうえに、一畳の布団を敷くことになっていた。赤毛氈を敷くのは、畳に血が通らないための工夫であって、美的な効果を狙ったものではない。”

“通常,在切腹人的位子上,与尺寸五幅的白棉布相匹配,铺开包袱布。如果切腹人的地位高,则在三个榻榻米的基础上,再铺上一个榻榻米大小的褥子。铺红色毛毡是为了血不透过榻榻米,并不是为了美观效果。”

——脇差の刃を切腹人に向け、白木の台の上に置く

——短刀的刀刃面向切腹人,放在白木的台子上

——切腹人、介錯人、検死役で盃をかわす

——切腹人、介错人、验尸负责人交杯

——腹を真一文字、または十文字に切り裂く:

——在腹部笔直的,或者十字形切开:

戦国の世では腸を引きずり出して敵将に投げつけた者もいたという

战国时期有将肠子拽出,扔向敌方将领的切腹人。

——前のめりに倒れ込むのは恥とされる:

——向前倒伏被认为是羞耻的:

あらかじめ両袖を膝の下に敷きこんでから腹を斬る

预先把两支袖子铺压在膝盖下面,然后再切腹

●責任重大な介錯人の役目

责任重大的介错人担当的任务

——介錯人とは:

——介错人指:

切腹人が苦しまぬよう、首を切り落とす役目。切腹人の一族や友人が務めるケースが多かった。

为了不让切腹人过于痛苦,负责切下切腹人的头。担当此任的多为切腹人的族人或朋友。

“当然の事ながら、介錯人には首と同を一太刀で斬り落とせる技量が要求された。”

“介错人被要求具有一刀斩落头颅的技术。”

“基本的には介錯が前提です。それどころか腹を実際には切らず当てただけのところで介錯する事のほうが多かったくらいです。”

“基本上,介错是前提。甚至有很多时候切腹人不实际切腹,切腹成了介错人的事。”

“やはり介錯人が下手糞だと何度も斬り損ねたりしてたみたいですよ。
これは切腹する人に余計な苦しみを与える為介錯人にとって非常に不名誉な事で、その為こういった斬り損ねが無いように腕の立つ人間が介錯人に選ばれていた様です。”

“有的介错人技术拙劣,好几次都没能成功斩断。给切腹人带去多余的痛苦对于介错人来说是非常不光彩的事情,因此要选择能够顺利斩断的,技术卓越的人担当介错人。”

“介錯なしの、いわゆる一人腹でも死ぬことはできますが、楽には死ねませんので、まさに地獄絵だったみたいです…”

虽然没有介错人的所谓一人腹最终也能死去,但死的并不轻松,简直像地狱图一样......。”

●切腹という風習はいつごろまで続いたのか?

●切腹的风俗一直持续到何时?

“幕末維新の時にはたくさんありました。藩命で大量処分というのもありました。”

“江戸時代より後の時代でも切腹はありました。
ただし、明治頃は割腹(かっぷく)という名でした。”

“幕末维新的时候有很多人切腹。也存在因藩主下达的命令大量处分的情况。”

“江户时代以后的时代也有切腹的现象。只是明治时期改名叫割腹。”

——明治天皇を慕って妻と共に割腹した乃木希典

——乃木希典为追随明治天皇,与妻子双双割腹

——三島由紀夫:

——三岛由纪夫:

“最後に腹を切ったのは三島由紀夫です”

“昭和45年(1970)作家の三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入して割腹自殺しました。
彼は自分では「サムライ」と思っていた節がある。”

“最后一个切腹的是三岛由纪夫。”

“昭和45年(1970),作家三岛由纪夫闯入自卫队市之谷驻地,割腹自杀。他拥有视自己为武士的情节。”

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